いままで1960年代以降の日本のロック史についてはミュージシャン当人やガイド本などで沢山語られてきました。しかしそこから漏れ落ちている、音楽雑誌や書籍にはない情報やエピソードもあるはずです。周辺にいた方々にそれぞれの日本のロック、ポップスに対する熱い思いを語っていただき補完しながら、お人柄も紹介する企画。
第2回はピアニスト、作曲家・編曲家の江草啓太さんにご登場いただきます。
我々田園メンバーとも縁が深い江草さんは、ピアニストの父を持ち、幼い頃から音楽に親しむ環境におり、音楽制作の現場にいる立場の方です。そんな江草さんがどんな日本のロックやポップスに影響を受けてきたのか、そして現在の音楽活動にその影響をどのように活かしているのか、時系列にお聞きしてみました。ぜひお楽しみください。
(左)江草啓太さん(右)松田主水
パート1:ピアニストの父・江草啓介さんのこと〜少年時代のこと
パート2:日本のロック、ポップスとの遭遇〜プロ・ミュージシャンの道へ
パート3:伊藤多喜雄さんとの出会い〜ジョン・ゾーン「コブラ」
パート4:ミュージカルの仕事へ〜奄美、屋久島の唄、まつばんだ(編集中)
宮川先生サイン入りの『交響組曲宇宙戦艦ヤマト』
松田:で、時は過ぎまして。いよいよ、じゃあ、日本のロックとかポップスとの遭遇ということで、その辺は、自分の耳で意識したところとしては、最初は。
江草:さっきの話と続いちゃうんだけど、「宇宙戦艦ヤマト」の映画見て、すごい音楽がいいなと思って。で、サントラが出るっていうんで、 買って。それは交響組曲っていう、リアレンジして録音し直したやつなんだけど。それもすごい聞くようになって。
そして、親父に、「ヤマト」のコンサートがあるんけど、行きたい」って言ったら、(作曲した)宮川(泰)さんと知り合いだからお願いしてみるって。
で、チケット取ってもらって、コマ劇場に見に行って、(父と)2人で。そして楽屋でレコードにサインもらったっていうことがあった。
松田:なるほど。それが、じゃあ、ポップスとして最初の経験ということですか。
江草:かな。ポップス・・ポップスかな、サントラだから、どうだろう。でも、 初めて自分で買いたいな、欲しいなって思ったレコードだった。
松田:実際に初めて、買った。
江草:レコードとして買ってもらった。その後、(ピアニストの)前田憲男さんのコンサートってのがあって。前田先生がアレンジ全部やって、指揮して、ピアノを弾くっていう。オーケストラと、(ドラマーの)猪俣(猛)さんと、(ベーシストの)荒川(康男)さんと、(サックスの)西条孝之介さん、と前田さんのフォー・リズム。そこで、アレンジの面白さをすごい知った。
松田:なるほどね、そうか、そこで我々とはちょっと違うルートに行ってますね(笑)
江草:(笑)環境が。
松田:我々がテレビ、ラジオから取り入れていたものを、いきなり現場で(笑)
江草:(笑)(親に)連れてかれちゃったからね。前田先生を全然知らなかったのに、行ってすごい衝撃を受けて。前田先生のアレンジによって「ロミオとジュリエット」を何々風とか、いろんなアレンジでやって、最後はね、スターウォーズ風で締めてて、面白いなあって。
松田:もちろん、お父さんの仕事柄っていうのもあるけど、 そこで実際音を作ってきた人にライヴで触れたっていう。
江草:それはすごいいい経験させてもらいましたが、問題はその後だよね(笑)YMOに出会っちゃって。
松田:YMOは最初はどういう出会い方?
江草:当時は親も新しいもん好きだから、ウォークマン持ってて。
松田:はい。
江草:最初のウォークマンだと思うんだけど、マイクがあって、外の会話聞けるボタンがあるやつ。 で、親父がミュージシャン仲間とよくカセットテープの交換とかしてるわけ。で、ある時、親がそのバンド仲間からもらったテープを「啓太、こういう面白いのがあるんだけど」って言って、(YMOのアルバム)増殖のB面「ここは警察じゃないよ」のコントをウォークマンで聞かせてくれて面白いなと思ったんだけど、その後に続けて流れてきた音楽が、なんじゃこりゃって思った。それがロックとの出会いかな。
松田:「シチズンズ・オブ・サイエンス」。
江草:そうそう、あれが最初。「テクノポリス」とか「ライディーン」でもなく「シチズンズ・オブ・サイエンス」聞いて、えっ何これ?って思っちゃった。
松田:なるほどね。
江草:今まで全然聞いたことない。
松田:YMOとしてはちょっと本筋とは少し違う。
江草:「増殖」自体がね。うん。「テクノポリス」とかも実は聞いてたんだけど。当時、朝の番組で「みどりの窓口」 っていう、国鉄の混雑状況とかをお知らせする番組が確かフジテレビであって、そこで「テクノポリス」が流れてた。
松田:番組BGMで。
江草:うんうん。でも、それ聞いてあんまり反応しなかったんだけど。どういうわけだか「シチズンズ・オブ・サイエンス」聞いてそっちの方に。
松田:それで、もうそこから自分でレコードも買って。
江草:いや、お小遣いあまりないから。エアチェックするか、あとは、同じようにYMOを好きになった友達が2、3人いて、彼らは親にカセットテープを買ってもらえてた。
松田:うんうん。
江草:それを借りてダビングして聞くっていう。
松田:当時はね、貸し借りが非常に重要だったので。
Pippi:オリジナルの、選曲して。 1曲目〇〇、2曲目××って編集して。
江草:そうそう。
宇宙戦艦ヤマト|1974年に読売テレビの制作により日本テレビ系列で放送されたSFアニメおよび、1977年に劇場公開された総集編のアニメーション映画作品。
宮川泰|日本の作曲家、編曲家、ピアニスト、タレント。
コマ劇場|日本の劇場の名称。 新宿コマ劇場。
前田憲男|日本のジャズピアニスト、作曲家、編曲家、指揮者。
猪俣猛|兵庫県宝塚市出身のジャズドラマー。
荒川康男|日本のジャズ・ベース奏者、作曲家。
西条孝之介|日本のサクソフォーン奏者
増殖|YMOの4作目のアルバム。1980年6月5日にアルファレコードからリリース。
シチズンズ・オブ・サイエンス|YMOのアルバム「増殖」収録曲。
テクノポリス|YMOのアルバム「ソリッド・ステート・サバイバー」収録曲。
ライディーン|YMOのアルバム「ソリッド・ステート・サバイバー」収録曲。
番組「みどりの窓口」|1967年10月2日から1985年3月にかけて、テレビ朝日(開始当初はNETテレビ)で放送された。国鉄が提供し同社関連の情報を伝える内容で月 - 土曜日の朝7時45分から15分間生放送されていた。
ミュージック・ステディ第四号(表紙)
ミュージック・ステディ第四号(誌面)
松田:じゃ、それでYMOから横に広がったりみたいなのは。
江草:で、とにかくYMOを聞いてみようってなって、エアチェックするか、友達のカセットを借りるか、聞いてて。中学入ってからは、(東京下北沢に)貸しレコード屋ができた。
下北沢は確か2軒あって、「レコファン」と「黎紅堂」っていうの。そこに行って友達が持ってない、エアチェックもしてなかったレコードを借りる。
松田:なるほどね。
江草:200円ぐらいで、確か。
松田:80年代の最初ぐらいかな。
江草:81年・・そう、81年だと思う。
松田:それで少しずつその周辺の知識も蓄えて。
江草:そうそう。本屋行ったらね、(音楽雑誌の)「サウンドール」とかあったから、そこから買うようになって。
あとね、「ミュージック・ステディ」っていう雑誌があって、それも通学路の本屋さんで売ってて。山下久美子が表紙だったんだけど、手に取ってみたら、「サウンドール」にも載ってないインディーズのバンドが写真付きでダーって載ってて。何これ!全然知らない世界がある!って。
E.D.P.Sとかチャンス・オペレーションとか。
松田:あ、インディーズ。
江草:インディーズ。NONバンドとか、ゼルダとか。何これ、聞いてみたい!と思ったけど、友達はもちろん持ってないし、貸しレコード屋にもないから。もうエアチェックしかないじゃないですか。
親父が仕事の音資料でもらったカセットでもう聞かないのをもらって、それで、ラジオ欄とにらめっこしてエアチェックを頑張る。
ラジオ欄は新聞だけじゃなくてFM雑誌もね、いろいろ出てたから。
松田:インディーズ系って、なかなかどこでも流れる類じゃないから。流してそうな番組を探し当てるのも大変じゃないかな。
江草:そうそう。結構ね。ライブの番組とかって。 ゼルダとか多分それで聞いたと思う、夜中やってた番組があって。だからアルバム聞くよりは、ライブを流してたのをエアチェックして聞く。そういう方がなんか多かったような気がする
レコファン|1981年に東京・下北沢に1号店をオープン。83年に渋谷に出店し、主力店として愛好家らに親しまれたが、2020年10月に閉店。以降は都内の秋葉原、武蔵小金井の2店舗とオンライン販売での営業を続けていたが、2023年東京・渋谷駅前の商業施設「MAGNET by SHIBUYA109」6階に再出店。
黎紅堂|日本でさきがけとなる貸しレコード店を開き、貸しレコードブームをつくった。
サウンド―ル|1980年11月~1984年3月まで学研から発刊された音楽雑誌。
ミュージックステディ|月刊ロック・ステディを前身に、1981年8月、季刊ミュージック・ステディとして創刊。1983年3月の通巻5号から隔月刊化し、同年10月の通巻8号から月刊化した。
E.D.P.S|元フリクションのギタリスト、恒松正敏を中心に1983年結成した3人組ロック・バンド。
チャンス・オペレーション|日本のロックバンド。1980年元フリクションのヒゴヒロシによって結成。
NONバンド|1979年に結成されたニュー・ウェーブ バンド。
ゼルダ|1980年代から1990年代にかけて活躍していた日本のガールズロックバンド。
神社でイモ欽トリオ
家にあったダブルラジカセで多重録音して初めて作った「ハイスクール・ララバイ」のカラオケ
「最初に録ったキックとか、すごい遠いの(笑)」
松田:エアチェック。あとは情報源として雑誌。 そうですよね。当時はネットもないから。
それと別に、演奏っていう意味では、その頃何か始めてたりとかは。
江草:(イモ欽トリオのヒット曲)「ハイスクール・ララバイ」を中1の時に梅中(世田谷区立梅ヶ丘中学校)水泳部で合宿した時に、みんなで出し物をやるとなって、「ハイスクール・ララバイ」を友達3人でやるっていう。ヨシオ役だったんだけど(笑)
それはカラオケがないから普通にシングルの音源を流して、歌も長江健司のにかぶせて友達が歌ったんだけど。その年の秋に神社でのど自慢大会があって、これ出たいってみんなでなって。ダブルラジカセが家にあってダビングで多重録音ができるから、自分ではやったことないのに、 「じゃ俺オケ作るから」って言って(笑)
Pippi:すごい。
江草:初めて作ったのが、「ハイスクール・ララバイ」のカラオケ。
松田:そうだったんだ。
江草:コルグ800DVっていうシンセを買ってもらってて、ずっと音をリピートして流せる機能があって、リズムとか選べなくて (トントントントンと4つ打ちでテーブルを叩きながら)これのテンポ変えるぐらい。これを流しながらスネアの音で手弾きで、タカタンタカタンとかやって録音。それを流しながらその上にベースを、ダッダッダッダッと弾いて、どんどん重ねてってという。
松田:それをダブルラジカセでやってた。
江草:5回か6回、ダビングでやってたな。
松田:音が(笑)
江草:最初に録った音とかどんどん遠くに(笑)最初に録ったキックとか、すごい遠いの(笑)
Pippi:でも、それって誰に教わるでもなく、自然にそういうものを作ってしまう。どうやって作るんだろうとかじゃなくて。
江草:なんかできそうな気がすると思ってやっちゃった(笑)
Pippi:そこがすごい。そこはやっぱり今に至るところの。
江草:でもね、結構行き当たりばったり。ちなみにそのカラオケはYouTubeにアップしてるので検索してみてください。
81年。その神社でやったら、 同級生がいっぱい来てわっと盛り上がったから、審査員も満点を出さざるを得ないみたいな状況になって、確か50点満点とか。それで、すごく気を良くしちゃって、じゃあ、中学の文化祭も出ようかってなって。
で、出たんだけど、その時に1個上の先輩のバンドで、 YMOのコピーバンドがいたんです。しかもアルト・サウンドっていう、YMOが使ってたシンセドラムも持ってて。中学生なのに。
それと、ベースどうだったかな。でも、シンセベースとキーボードで4人ぐらいで。
Pippi:機材、持ってたんだ。
江草:持ってました。で、こっちがセッティングしてると、後ろでもセッティングしてて、なんかシンセ・ドラムが「ズキューン」とかいってて、うるせーなと思いながら(笑)
Pippi:イラつくよね。こっちは演奏してる時に(笑)
江草:でも、「ナイス・エイジ」とかやってたんですよ。あとはなぜか担任のサホ先生が(水谷豊のヒット曲)「カリフォルニア・コネクション」を歌うっていう(笑)よくわかんない(笑)
そこにいたのが(「田園」のドラマーでもある)鈴木茂樹くん。
Pippi:あ、その時から、
江草:そうそう。
Pippi:いい機材持ってるバンドの(ドラム)。
中学ニ年生。文化祭でバンド
江草:シゲちゃんは元々小学生の頃から接触があったの。 彼のお父さんも鈴木淳さんっていってスタジオ・ミュージシャン。越路吹雪さんのバンドでもベースを弾いてた。うちの親父と家も近いし、ミュージシャン仲間の野球チームに入ってた。試合する時は対戦相手と折半して後楽園球場を貸し切って。(当時)あそこはお金払えば貸してもらえたから。その試合を見に行ったらシゲちゃんもいてってこともあり。あと、詰将棋の本を借りた区民館の2階に音楽室があって、そこでもシゲちゃんを見かけたことがあって、あの人かって。
松田:じゃあ、なんとなくは知ってた。
江草:知ってた知ってた。で、文化祭では、まあYMOコピーバンドいいなと思いつつ話はせず。ただある日、 その中学1年の最後、多分2月ぐらい、82年2月ぐらいにお手紙が。
Pippi:かわいい。
江草:お手紙が下駄箱に(笑)、蛍光ペンで丸文字で書いてあって(笑)、俺、とうとうラブ・レター来た!(笑)と思って。急いで隠して、で、友達と下校して、じゃあねって言って通学路で一人になった時にラブ・レター見ちゃおうって開いた。「こんにちは、2年D組鈴木と申します。
実はあなたのお父さんとうちのお父さんが知り合いで、ホニャララホニャララで、文化祭でバンドやってたこと書いてあって。で、春休みに録音したいんだけど、キーボード弾いてくれませんか」っていう・・なんだラブ・レターじゃないのかと思ったんだけど(笑)
Pippi:ある意味ラブ・レターだけど、中学生が期待するものじゃなかった(笑)
江草:丸文字ですよ丸文字(笑)
高内:当時、隣の区でそういうドラマが広がってたとは知らなかった。
Pippi:うん。その当時は。
高内:その頃、練馬にいたんで。会ってはいないですけど、同じ環境で同じようなシチュエーションで先輩のバンドがいたっていうのが、なんかもう、自分のことを見てるような、自分の思い出を見てるような感じですね。
江草:やっぱりね、演りたい人はいっぱいいたよね。YMOは。
松田:・・そこで誘われて。
江草:初めて(東京世田谷区)経堂の貸スタジオに入って、 なんか録音したのかな。あと、シゲちゃん家も楽器音出しオーケーだったんで入り浸ってセッションっていうか、誰かが弾き出したら、それに合わせて、なんとなくついていくっていう方式の、なんか、グータラ・セッションって呼んでた、そんなことずっとやってた。
高内:いい環境ですよね。
江草:シンセ・ドラムがあるのはね。
松田:いや、当時あるって、ちょっとすごいよね。
江草:彼はバイトして全部買ったからね。すごいなって思った。あと楽器フェアに行って、コルグのMS-10(シンセ)を抽選で当てた。それをシンセ・ベースで使ってた。
で、中2の時に、じゃあ一緒に学園祭、文化祭出ようとなって。その時はもう多重録音慣れてきて、オリジナルも何曲か書いて録音して、 その曲やろうってやったりとかした。
松田:多分、その時のやつを聞かせてもらった記憶がある。 もうその時点からすごいなと思って。シンセの太い音をいまだに覚えてる。
江草:あー、だって800DVだからね。
松田:うわっと思って。えー中学生でこんなのやってるの。
江草:いや、でも、あれ体育館で鳴らしてるから、体育館のリバーヴの成分もある。
松田:あー。でもすごいやと思ってた。
江草:でもね、マニアックな曲やってた。本番ではやらなかったんだけど、 「TRA」っていうカセット・マガジンがあって、それの第1号が立花ハジメ特集で、立花ハジメがカセット・ブックのために書いたCMの曲があって、それをやったりとか(笑)何人知ってんだっていう(笑)
Pippi:そうなんだ、ハジメちゃん、すごい。
松田:80年代はYMOを始めとして、いろんなインディーズ関係、聞いてたのはその辺がメインで?
江草:かな・・・でも、そこ追っかけてくだけで、結構な収穫があってね、ゲルニカの上野耕路さんがサウンドールのムック本で近代フランスのこんな作曲家のこんな曲があるって、リストに出してたりとかしてて。そこでプーランクっていう作曲家知ったりとか。
プーランクはクラシックの人なんで、うちの親も躊躇せずにレコードを買ってくれたり。
ハイスクールララバイ|イモ欽トリオの楽曲、1枚目のシングル。1981年8月5日発売。
コルグ800DV|1975年に発表されたデュアル・ボイス・シンセサイザー。
アルト・サウンド|1980年代に東洋楽器が発売していたドラムシンセサイザー。YMOの高橋ユキヒロが使用していたことで有名。
ナイスエイジ|YMOのアルバム「増殖」収録曲。
鈴木淳|日本のジャズ・ベーシスト・インストラクター。ドラマー鈴木茂樹の父。
越路吹雪|元宝塚歌劇団男役トップスター、シャンソン歌手、舞台女優。
コルグMS-10|コルグから発売されたシンセサイザー。
TRA|カセットマガジン。ニュー・ウェーヴ音楽シーンにおいて大きな役割を果たした。
立花ハジメ|東京都出身の音楽家、グラフィックデザイナー。
上野耕路|日本の作曲家、編曲家。ゲルニカ、ハルメンズ、8 1/2といったバンドで活動。
プーランク|フランシス・プーランク。フランスの作曲家、ピアニスト。歌曲、ピアノ曲、室内楽曲、合唱曲、オペラ、バレエ、管弦楽曲に作品を残した。
中学3年生
【1984リスト・江草選】
①音楽図鑑/坂本龍一
②アマチュア・アカデミー/ムーンライダーズ
③科学と神秘/鈴木さえ子
④ラ・パロマショー/サロンミュージック
⑤パラレリズム/コシミハル
⑥SFX/細野晴臣
⑦オーエスオーエス/矢野顕子
⑧ピピザズー/メトロファルス
⑨Viva Lava Liva 〜祝・再・生〜:/サンディー&サンセッツ
⑩天国一の大きなバンド/REAlFISH
松田:江草さんにとって、日本のポップスの変化の年という1984年について。 84年っていう括りで江草さんに選んでもらったリストがあります。
Pippi:(リスト見ながら)あっメトロファルスだ。伊藤ヨタロウ!
江草:84年ね。メトロファルス、大好きなんです。
84年全体的に言うと、それまで結構打ち込みでずっと来てた。ところが、84年で急にアコースティックなものも取り入れるっていう流れになってきたんじゃないかなと思うんですけど。(当時のベルギーの新興レーベル)「クレプスキュール」とかの影響があって。
打ち込みの中に生ギター入れるとか。
松田:そうね、それ以前、83年以前は、もうゴリゴリのテクノとかね、そういう世界だったのが、あれ、なんか音が変わってきたぞ、みたいになってきて。
江草:そうそう、ちょっとね、風通しが良くなった感じがあって。
松田:そういう時代だよね。
江草:で、さらになんか自由になった気がするの。なおかつ、いろんな人が来日、ローリー・アンダーソンが来た。
松田:うん、
江草:あとね、美術方面だけど、ヨーゼフ・ボイスとナム・ジュン・パイクが来た。
松田:うんうんうん。
江草:でね、(トーキング・ヘッズの映画)「ストップ・メイキング・センス」公開。
坂本龍一は、「パフォーマンス元年」って呼んでたらしくて84年を。政治家の言うパフォーマンスとかじゃなくて、ストリートで表現する。
Pippi:パフォーマンスって言葉、このぐらいの時期に初めて耳にしたような気もする。
江草:だから、ミュージシャンも演奏してるだけじゃなくて、ちょっと演劇的な方面に片足突っ込むみたいな。
Pippi:テレビ番組で、2時間番組ぐらいで、NHKかな。
江草:NHKで。
Pippi:なんかね、フラクタルの絵が・・・100個ぐらいコンテンツがバーって。
江草:でも、パフォーマンスの番組があって、当時で、84年かわかんないけど。
Pippi:すごい、アバンキャルドなね。
江草:ムメンシャンツとかアーバンサックスとか大道芸人とかのパフォーマンスを紹介してた番組があったんです。
同じ週に、確か「TV-TVインディーズの襲来」が、KERAさんが「買わないからいけない」っていう。あれ、もうちょっと後かな、84年じゃなかったかもしれない。
伊藤ヨタロウ|1981年、前身バンド、ホットランディングを母体にロックバンド「メトロファルス」を結成クレプスキュール|ベルギーの音楽レーベル。
ローリー・アンダーソン|アメリカの前衛芸術家、作曲家、音楽家、映画監督であり、パフォーマンスアート、ポップ・ミュージック、マルチメディア・プロジェクトにまたがって活動。
ヨーゼフ・ボイス|ドイツの現代美術家・彫刻家・教育者・音楽家・政治活動家。
ナム・ジュン・パイク|韓国生まれのアメリカ合衆国の現代美術家。
トーキング・ヘッズ|1974年に結成、1991年に解散したアメリカ合衆国のロックバンド。
ストップ・メイキング・センス|トーキング・ヘッズが1983年に行った伝説のライブを記録したドキュメンタリー。
ムメンシャンツ|シュールなマスクとプロップ指向のスタイルで演じるスイスのマスク劇団。
アーバンサックス|フランスの作曲家ジルベール・アルトマンが主宰する、大量のサクソフォーンを使うアンサンブル。
TV-TVインディーズの襲来|1985年、NHKで放送された番組。
KERA|劇作家・音楽家・演出家・ナイロン100℃・ケムリ研究室・KERA MAP主宰。有頂天、KERA&Broken Flowers、No Lie-Sense、ソロ 等で歌唱中。
高校入学式。母と
Pippi:私が言ってたのは、「TV's TV」っていう、フジテレビでやってた・・・これ1987年だ。
江草:87年だと、多分「FUJI AV LIVE」とか。
松田:RADICAL TVとか。
江草:そうそう。だから84年ってね、ムーンライダーズもね、「アマチュア・アカデミー」で、結構アコースティック・ギター入れたりとかしてて。
松田:生楽器回帰の気配が感じられ始めた年。
あと演劇的って意味じゃ、コシミハルとかメトロファルスがそういう要素を入れてきたりしてた。
江草:そうそう、そういう人たちがね。
あと、個人的に忘れられないのが、 「SEED」っていうカセット・ブックのシリーズがあって。ムーンライダーズの「マニア・マニエラ」と、(サックス奏者の)矢口(博康)さんの「観光地楽団」とか井上鑑とかリリースして。そのコンサートがあって、中野サンプラザで。ライダーズと観光地楽団のコンサートは、多分初めて自分のお小遣いで見たライヴだと思うんだけど。
それぞれが3曲ずつぐらい演奏する。ずっと同じステージにいて交代で演奏してくんだけど、途中からどっちかの演奏に片方の誰かが紛れ込む、っていうのやってく。
片方が演奏してる間に、片方のバンドのメンバーがポラロイトで写真撮ったりとか、そういうね、ちょっと面白いライヴ。アンコールは全員でヨーロッパの映画音楽を4、5曲演奏したのかな。(ニーノ・ロータの)「道」とかね。
ゴダールの「男性・女性」とか。それがすごい印象に残ってるかな84年。
松田:取り上げる音楽も、いわゆるロックに縛られないようなものも結構出てきたりとかして。
江草:そうそう。
松田:ライダーズとか、この頃、ヨーロッパの音楽とか随分、映画音楽も含めていっぱい取り上げてた時代だった。
江草:(ムーンライダーズの鈴木博文と美尾洋乃のユニット)MIO FOUもアルバムが84年だし。と言いつつ、細野(晴臣)さんが、「ビデオゲーム・ミュージック」っていうアーケード・ゲームの音楽編集したアルバム出したり。
松田:ちょうどそういう境目、時代だった。これ以降ね、また流れが色々とこう変わってきて。
江草:この後サンプラーの時代になっちゃって、どんどん音が派手になる。オケヒ(オーケストラ・ヒットの略。有名なサンプラー音源)を積極的にみんな使うみたいな。ちょっと騒がしくなっちゃったかな。
松田:音的にも、これ以降、(音が)ものすごくマッチョな感じになったような気がして。
江草:そうそうそう。
20歳頃?自室にて
松田:坂本龍一だったら「メディア・バーン」がね、すっごい肉体派みたいな。・・・1984年は啓太くんにとっても1つの重要な年と言える。
江草:その1984年、高1でね、初めて電車で通学して、自分の見えてる世界が広がっただけなのかなと思ったんだけど、音楽界が全体的に変わっていったみたい。DX7(ヤマハ製造の初のFM音源内蔵デジタル・シンセ。1983年発売)が本格的に使われ出したの、多分84年ぐらい。
松田:そうかもしれない。
江草:だから、ここでガラッと色々変わったような気がする。
松田:確かに。・・・当時、ヤマハのイベントが84年にあって。その中でもやっぱりDX7すごい大フィーチャリングしてた。
ディスプレイもしてたし、イベント内ライヴを見たことがあって、その中でもいっぱい使われてて、これからデジタル・シンセの時代なんだみたいな、そんなふうに思った記憶はありますけど。
高内:デジタル・シンセと、ちょうどそのヤマハも、もちろんローランド、コルグも参加してたけど、MIDIを使った楽器の同期っていうのが、
ちょうど84年ぐらいを境に伸びてきてた時代じゃないかなと思います。
江草:ヤマハがね、DX7を真ん中にして色々周辺機器を揃えると。
高内:1人で(すべて出来る)、ミュージシャンいらないんじゃんみたいなことを言い出して、なんでも1人でできるっていう感じに。あの当時の80何年ぐらいの仕様がいまだに使われてるっていうのはすごいことだなと思いますけど。
松田:ヤマハのイベントの時も、清水信之が1人で全部やってて、自分はちょっとギター弾くみたいな、そんなライヴをやってた記憶ある。
FUJI AV LIVE| 1986年2月〜1988年6月の最終金曜日に29回に渡って行われた、富士マグネテープ(株)(富士フイルムの出資会社/後のAXIA)主催のライブシリーズ。
RADICAL TV|80年代に活動していた筑波大出身の原田大三郎と庄野晴彦による、AVユニット。
アマチュア・アカデミー|ムーンライダーズが1984年に発表したアルバム。
コシミハル|日本の女性シンガーソングライター。
カセットブック「SEED」|1984年に冬樹社から発行された “カセットブックシリーズ。
マニア・マニエラ|ムーンライダーズの8枚目のオリジナル・アルバム。1982年12月15日発売。
矢口博康|日本のサックスプレーヤー。エスパー矢口の異名をとる。
観光地楽団|矢口博康が1984年にリリースしたカセットブック。
ニーノ・ロータ|イタリアの作曲家。
道|1954年製作・公開のイタリア映画。
ゴダール|フランスの映画監督。
男性・女性|1966年のフランス・スウェーデン合作映画。監督はジャン=リュック・ゴダール。
MIO FOU|鈴木博文(ムーンライダーズ)と美尾洋乃(元リアル・フィッシュ)によるユニット。
オケヒ|オーケストラ・ヒットとは、サンプリング音源の種類の1つ。
メディア・バーン|1986年に開催された坂本龍一のライブ・ツアーの名称であり、その模様を収録したキャリア初となる同年9月21日に発売されたライブ・アルバム。
DX7|1983年5月に発売。世界初のフルデジタルシンセサイザーとして登場した、61鍵、6オペレータ32アルゴリズムのFM音源を採用。
MIDI|Musical Instrument Digital Interfaceは、電子楽器の演奏データを機器間で転送・共有するための共通規格。
レコーディングスタジオにて
松田:・・・それで、色々と学生時代に音楽活動していて、そのあと、じゃあこれで飯食ってこう(プロのミュージシャンになろう)みたいな、キッカケってありましたか?
江草:キッカケは・・・最初、知り合いの結婚式で頼まれて弾いたりしてました。(求人雑誌の)「フロムA」とかみたら結婚式で弾くバイトもあったんで面接とか行ってみたんだけど、最初に研修期間があるって言われて、半年ぐらいこっちが研修費を払って教えてもらわなくちゃいけないって言うの。「こっちはすぐ仕事したいからイヤだって」言って面接だけで帰った。何社か行ったんだけど、全部そうだった。 で、なかなか厳しいなと思ってたところに学校の友達からハコバンの話が来て、やってたのかな・・。
で、そのあと、うちの親父が(仕事してた)森山良子さんのバンドのドラムの長谷川清司さんって方がバンド作るんでキーボードやってくんない?って言われて
「うん、 いいですよ」って言ったんだけど、全然、フュージョン・バンドで。アドリブとか全然わかんないんだけど、とりあえずやってみたりとかしてたら、 今度は(森山)良子さんのバンドのキーボードの人が、猪股(義周)さんっていうんだけど、「長谷川さんのバンドでやってるんだったら、スタジオもたぶんできると思うから、ちょっとやってみる?」って言われて、初めてレコーディング・スタジオにスタジオ・ミュージシャンとして行って。そしたら、何のご縁かわかんないけど、たまたま、 うちの母親、(広島県)世羅郡ってとこの出身なんだけど、世羅郡の歌だった。
その時のインペクの人が石塚さんって言って同じ大学の先輩で気にかけてくれて、 「もしこういう仕事したいんだったら、うちでスケジュール預かるよ」とか言ってくれて。「グループTOMO」っていう大手のインペグだったんだけど、 CMとかいっぱいやってるんで、そこにスケジュール預けて。最初は(仕事は)ポツポツ、月に1回とか。ちょっとずつ増えてきて。
その後、前田憲男さん書き(作曲)のミュージカルの仕事が、さっき話したドラムの長谷川さんから来て・・・(バンドの他のミュージシャンは)ほとんど長谷川さんの知り合いだったんじゃないかな。そこにキーボードで入って。それが1番最初の長期間の仕事だった。三週間神戸、その後に東京で一週間。
レコーディングスタジオにて
松田:その辺からだ、徐々に広がってきてる。
江草:そうそうそう、その後、菅原洋一さんのバンドに誘われて、それもドラムは長谷川さんだったんだけど。
松田:その辺、誰から紹介受けるかにもよって。
江草:うん。
松田:変わってくるんですね。
江草:ただ、でも、江草(啓介)さんの息子がスタジオ(の仕事を)やってるらしいっていう話がわーっと広まって、じゃあ弾いてもらおうってなって呼ばれるんだけど、(江草啓介さんの息子が)どんな演奏するかって聴いたことないから、もうね、親父と同じことできると思ってみんな頼んでくる。
それで行くと、(みんなは)「ああ、お父さんが弾いてるようには弾けないんだ」って(笑)っていうこともあり。
ピアノでこの世界に切り込むの結構大変だから最初はキーボードで入るのがいいと、その「グループTOMO」の石塚さんに言われて。元々キーボードは弾いてたし。で、シンセもちょっと買い足して。それでやってたら、(みんなが言うには)親父とやることは違うけど、でも譜面は強いと。楽器が揃ってないから音色はまだそんなに豊富じゃないけど。
でも、多重録音を自分でやってたから、ジャストで弾く感覚も体感できてた。 まだ当時はバンド録音は同録(同時で一発録音)が一般的。そしてマルチ(トラック・テープ)回すとお金がかかるっていう時代。
制作側で予算がない時は、マルチではなく2チャンネルで「せーの」で録音をするっていう方式。 だから、弦(ストリングス)とか、リズム隊、ホーン・セクションがいて、シンセが3人ぐらいの編成だと、 スタジオ入るなり先輩2人と俺で譜面を見て、「啓太君は音色は簡単で多少難しくても弾けるから、じゃあこれね」とか言って(笑)
Pippi:指が難しいやつ。
江草:そうそうそう、「16分音符いっぱい書いてあるけど、音色がキラキラ系だけだから、じゃ、これ啓太君」とかそういう感じで、 だんだん(俺の)ポジションがね、みんなわかってきて。みんな優しいから。
松田:それで、仕事もだんだん波に乗ってきて。
江草:ただ、(こういう仕事は)自分じゃなくてもいいかなっていう風にも思ってた。ここまでの流れはね。そんなところに、1個、ちょっと嬉しい仕事が来たんです。
森山良子|日本・東京都渋谷区出身の歌手、シンガーソングライター、俳優。
長谷川清司|日本のドラマー。ビッグバンド、ダン池田とニューブリードを経てフリーランサーになる。
猪股義周|日本のキーボード奏者を経て、現在は作曲家・編曲家。
菅原洋一|日本の男性歌手。
細野晴臣や¥ENレーベルの音楽制作拠点だったLDKスタジオにて。2000年代
初めてのCM仕事かも。『石丸電気(1993)』。
作曲は桜井順先生。マニピュレーターの美島豊明さんによる打ち込みドラム以外は全部手弾き。
ソナチネ風のピアノソロはKORG M1でした。
江草 啓太 (えぐさ けいた)
ピアニスト、作・編曲家。ステージでは朝崎郁恵、伊藤多喜雄、加藤登紀子、島田歌穂などのサポートを務め、レコーディングでは小西康陽、KERA(=ケラリーノ・サンドロヴィッチ)、植松伸夫などの作品に参加。NHK「カムカムエヴリバディ」の劇伴でもピアノを演奏した。えぐさゆうこと共に、屋久島、奄美大島等の古謡や作業唄を発掘し蘇演する試みを行う。演劇作品への関わりも多く、近年は『テラヤマキャバレー』、音楽劇『道』、『黒蜥蜴』(以上、デヴィッド・ルヴォー演出)、『9to5』『ファンタスティックス』『いまを生きる』(共に上田一豪演出)、『家族モドキ』(山田和也演出)、『VIOLET』『ラグタイム』(共に藤田俊太郎演出)などで音楽/音楽監督を、『CROSSROAD』(末永陽一演出)では編曲を担当している。