いままで1960年代以降の日本のロック史についてはミュージシャン当人やガイド本などで沢山語られてきました。しかしそこから漏れ落ちている、音楽雑誌や書籍にはない情報やエピソードもあるはずです。周辺にいた方々にそれぞれの日本のロック、ポップスに対する熱い思いを語っていただき補完しながら、お人柄も紹介する企画。
第2回はピアニスト、作曲家・編曲家の江草啓太さんにご登場いただきます。
我々田園メンバーとも縁が深い江草さんは、ピアニストの父を持ち、幼い頃から音楽に親しむ環境におり、音楽制作の現場にいる立場の方です。そんな江草さんがどんな日本のロックやポップスに影響を受けてきたのか、そして現在の音楽活動にその影響をどのように活かしているのか、時系列にお聞きしてみました。ぜひお楽しみください。
(左)江草啓太さん(右)松田主水
1992年。トルコにて。セッティング完了
松田:いちミュージシャンとして、色々職人的にやってきたけど、これは他の人でもできるんじゃないかと思ってた時に、ある出会いが。
江草:ありました。親父はツアーで森山良子さんもやったけど、さとう宗幸さんもやってて。宗幸さんのサポートをずっとやってたのが、(アコースティックギター、バイオリンの)佐久間順平さん。
松田:はい。
江草:順平さんはね、高田渡さんとかフォーク系のサポートとかずっとやってた人なんだけど。順平さんが伊藤多喜雄さんもやっていて。で、多喜雄さんのバンドにキーボードを新たに入れたいっていう話があって。
最初、香港の仕事だったんだけど。ある日、家で母と話してて。「啓太、海外どこ行きたい?」って。「中国行ってみたいな」って言ったら、電話かかってきて。
「TAKiOプロモーションの加藤と申しますけども、佐久間順平さんの紹介で江草さんのお名前聞きまして、伊藤多喜雄のツアーで香港があるんですけど、もしよかったらいかがでしょう」みたいなこと言われて、「やります、やります!」
香港行く前に北海道の仕事があって、「そっちもお願いします」、「わかりました」となって。・・そこから数日経って、母とまた話してて、「香港の後どこ行きたい?」って(笑)聞かれて、「うーんインド行ってみたい」って言ったら、また多喜雄さんの事務所から電話がかかってきて、中近東のツアーの話があって(笑)「トルコ、イスラエル、エジプト、3週間なんですけど」って言われて、「あ、やります、やります」。
ちょっと違うけど、なんか割と近いところ(笑)
松田:別にお母さんが話聞いてたわけじゃないよね。
江草:聞いてたわけではない(笑)
Pippi:言ったら全部(向こうから)やってくる。
伊藤多喜雄|日本の民謡歌手、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。今や世界中で踊られている、「3年B組金八先生」で世に知られた南中ソーラン「TAKiOのソーラン節」の生みの親。NHK紅白歌合戦2度出場(1989、2003年)。
さとう宗幸|日本の歌手・俳優・司会者。
佐久間順平|神奈川生まれのシンガー・ソングライター。
高田渡|日本のフォークシンガー。
90年代前半。伊藤多喜雄コンサートにて。
江草:多喜雄さんね、実はその前の年に「WOMAD」で見てて。民謡なんだけど、洋楽器入れてすごいエネルギッシュにやっていて、しかも三味線の人がストラップつけてギターみたいにやってるから、多喜雄さんとその三味線の人が、木下伸市(現・木乃下真市)っていう人なんだけど、ミック・ジャガーとキース・リチャーズみたいで(笑)
「WOMAD」はワールドミュージックのフェスだったんだけど、フェスってそんなに盛り上がってなくて今ほど。でも多喜雄さんが出たところぐらいからじょじょに盛り上がってて、最後の2曲ぐらいで、立ち上がる人も結構いて。多喜雄さんの声量もすごいな、面白いバンドだなと思ってた。電話かかってきて呼ばれたけど、でもバンドの洋楽器のメンバーがジャズ系なら、 これはあんまり俺が入る余地ないなと思いつつ。
そしたら、意外と結構自由だったので好きにやらせてもらえた。普通の仕事は大体譜面に書いてあるとおりに弾けばいいんだけど、多喜雄さんの場合は民謡の人だから、実は歌ってる多喜雄さんはあんまり譜面関係ないっていう。
イントロ何小節って決まってるのもあるんだけど、決まってないものもあって、歌い始めたら、そこから1コーラス、みたいな。ファンクみたいに。一応、3コーラスとか決めてあるんだけど、
調子がいいと4コーラスになったりとか。コーラスの中でもロングトーンの拍が決まってなかったりする。これ、結構面白いなと思って。キーボードの人は既に1人いるから、最初はパット系で恐る恐るやってる感じだったんだけど、
でも、だんだん回数重ねるうちに(キーボードの)いろんな音色試してました。当時92年で、自分が聞いてたのがハウス(ミュージック)だったんで、ハウスってなんだろうっていうのと、あと、サンプラーを使いこなしたいってなって。
多喜雄バンド結構自由にできるから、サンプラーでSEみたいのやったら面白いかなと思って、いろんなSE系のものとか、パーカッションみたいなのとか(演奏してた)。あと、 いろんなポップス系のね、僕らが割とよく知ってるようなものやハウス系のネタをサンプリングして出したりとかっていう。
松田:アレンジは結構、多喜雄さんはもうお任せっていうか、 自由にやっていいよみたいな。
江草:「俺が歌いやすかったらいい」っていう、「俺を歌わせてくれ」っていう感じだった。
松田:あ、もうそこさえあれば、あとはもう自由。なるほど、それはすごいやりやすかった。
江草:洋楽器はジャズ系の人が多かったんだけど、そこにジャズあんまり通ってない、ニューウェイヴばっかり聞いた上でサンプラーで色々遊んでたから、「なんだこれは、なんだこいつは」って思われた(笑) 逆に面白がってくれたの。そこで、あ、ここはやっと居場所が出来た、いていい場所なのかなって。
多喜雄さんは生活に音楽がもう密着してるから、打ち上げとかも地元の人と飲んでて、1時間ぐらい経つと三味線と尺八のメンバーが「失礼します」って来て、で、ちょっと一曲やりますって。地元の人が喜ぶでしょ。
そうすると徐々に多喜雄さんも歌って、ウチらもそのへんにあるもの叩いて参加してみたり。そこで試して面白いものが出来たりすると、翌日のステージに反映されたりとかもあった。
WOMAD| World of Music, Arts and Danceは、1982年以来世界各地で開催されているワールドミュージックのお祭り(フェスティバル)であり、世界各地の音楽家によるライブ演奏、ワークショップ、物品販売などが行われる。
ハウスミュージック|1977年にアメリカ合衆国シカゴで誕生した音楽ジャンルの一つ。単にハウスと呼ばれることも多い。
大道芸スタイルのライブにて。
鍵盤ハーモニカの背面奏法を披露。
Pippi:そこで自分の色じゃないけど、色々、実験したり。
江草:うん、そうそう。
Pippi:幅を広げたり、持ち味をすごく前面に出したりすることができる。
江草:そうそうそう。で、一回ステージで1番ウケた、ウケたというか、 多喜雄さん歌えなくさせちゃったことがあって。「ドンパン節」っていう曲をやる時に、メンバー1人ずつ歌わせる。最初は邦楽器の人に歌わせて、もちろんうまいわけ。で、だんだん洋楽器の方に行って、多喜雄さんがいろいろツッコミ入れながら、で、最後俺が歌って音痴で終わる(笑)っていう のをずっとやってた。
その「ドンパン節」を本番でやる時に、多喜雄さんがまず見本を見せるわけ。見本見せてくれたやつの録音をあらかじめPAさんからもらって、いつかこれ流して口パクでやってみようと思って、サンプラーに仕込んどいたの。
多喜雄さんはまだ若かったから、 ツアー先でね、大体10日に1回ぐらいはね、誰かを説教するみたいなことがあって、今日ぐらい来るなっていう日に試したの。野外のコンサートでした。
エグリンって呼ばれてたんだけど、「エグリン歌ってみて」って言われて。で、口パクなんだけど音は(サンプラーで鳴らしてる)多喜雄さんの歌が出てるっていう。歌い切ったら、その後、お客さんは全然俺のこと知らないから、ああ、上手な方なんだなってなったけど、スタッフとメンバーがバカウケ(笑)、多喜雄さんも初めて見るからすごい笑っちゃって。「ちょっともう1回やって」って言われて、もう1回やって(笑)、またメンバーとスタッフだけバカウケになって。
(笑)「それ口パクでしょ」、みたいなやり取りあって、「じゃあドンパン節行ってみましょう」ってやるんだけど、多喜雄さんがずっと笑っちゃって歌えなくなるっていう(笑)その日は三味線の(木乃下)真市さんが代わりに歌った(笑)
松田:楽しめちゃうぐらいの。
江草:面白かったら、何やってもいい。
松田:それはやりやすいかもですね。今も続いている?
江草:今はそのサンプラーのはやってないんだけど(笑)ただ、なんかちょっと変わったやつっていう。
松田:多喜雄さんとはもう現在に至るまで(関わっている)。
江草:そうそうそう、ちょっと空いた時期もあるんだけど、でも、今もね、呼んでくれてるし、ありがたいです。
ジョン・ゾーンと。COBRAの翌日、別のゲームピースBEZIQUEを新宿ピットインで
松田:じゃあ、そこからちょっと、ポップス、基本民謡ベースなんだけど、少し音楽の幅が広がっていった。
江草:ある日、多喜雄さんの楽屋で、三味線の木乃下真市さんから、「この間ね、こういうライヴやったんだけど」って言われて、「ジョン・ゾーンズ・コブラ」。
松田:はいはいはい。
江草:っていうライヴをやったって話してて。譜面というかルールがあって、(演奏の指示が書かれた)カードがあって、で、カードの通りにみんな演奏するんだけど、そのカードで演奏するメンバーをリクエストすることもできるっていう(ゲームスタイルを取り入れた即興演奏)。 「すごい面白かったから、エグリン、これ多分面白いと思うんじゃないの?」って言ってくれて、じゃあ見に行こうと思って行った。
そしたら、雑誌でいままで見て(知って)たインディーズ系の人が、その時はね、ボアダムズのYoshimiさんが集めたメンバー10人ぐらい。巻上(公一)さんがプロンプターといって、そのカードを出す指揮の役割で演奏してて。
結構コア系の人たちばかりだから、 そういう人たちってしかめっ面で演奏するイメージだったんだけど、もう、やりながら(笑)みんなカードのやり取りしながら、リクエスト出したりとかして、すごいニコニコでやってて。
そこでまた衝撃を受けて、これ、どういう仕組みになってんだろうっていう。音楽は全部即興なんだけど、でもルールが決まっていて、でもメンバーも自由度が結構高い。「メモリー」っていうカード(いま演奏してることを記憶する)もあるから、使いようによってはすごいポップな使い方もできるし。
松田:1度だけ、(自作楽器を操る即興音楽家の)尾上くん経由だったかな、誘ってもらって参加したことがある。 面白い音楽のゲームだね。
Pippi:カードになんか書いてある。
松田:そう、指示。こんな感じで演奏するとか。
江草:アルファベットが書いてあって基本。Rだったら「ランナー」っていって、プロンプターが指名した人が演奏。
Pippi:そっか。じゃ、そのカードと指名とあって、自分が指名されたら自分がその今出てる通りの演奏をする。
松田:自分なりの発想で、即興で、音を出す。
江草:ほかにも、演奏してる人は演奏やめて、してない人は演奏するっていうカードがあって、そのカードがおろされると 演奏者が変わるっていうのもあるし。あと、(演奏の)ボリュームを変えるってのもあるし。あと(演奏している)音楽を変えるとか、音楽は同じで演奏する人を変えるとか。 あと、カードに関係なく演奏できる「ゲリラ」ってのもあって。
Pippi:すごいね、反射神経が。
江草:そうそうそう、
松田:そういう方面も面白いなと思いつつ。
江草:それも面白いなと思って。2回目見に行って、2回目はね、それまで6回ライブでやってきた人の中からそれぞれのリーダーともう1人、なので12名。大友良英さんとか仙波清彦さんとかいて、その回もすごい面白くて。で、終わった後に巻上さんがMCで「「コブラ」出たい人はチラシに連絡先あるんで連絡してください、電話かけてください」って言ってたので、翌日電話して「やりたいんですけど」って(笑)。
その後、「今度(巻上さんのバンド)ヒカシューのライヴあるよ」って言われて、「じゃあ見に行きます」って見に行って。終演後に楽屋を訪ねたら、「8月に(ギタリストの)窪田晴男さんがリーダーで(コブラを)やるんだけど」っていう風に言われて。窪田さんだったら多分やる人いっぱいいるから俺は選ばれないだろうなと思ったんだけど、しばらくして「リハーサルと本番の日ここなんですけど」って電話があって。「あれ?出ていいんですか」「はい」、みたいな。
そこでね、DEMI SEMI QUAVERのメンバー、スティーヴ・エトウさん、エミ(エレオノーラ)さん、寺師(徹)さん、あと窪田さんがいて。ほかヲノサトルさん、サーファーズ・オブ・ロマンチカの宮原(秀一)くんっていう、ヴォーカルの人とかいて。それが初「コブラ」かな。
木下伸市(現・木乃下真市)|日本の津軽三味線奏者。伊藤多喜雄バンドの重要なメンバーとして活躍。
ジョン・ゾーン|アメリカ合衆国ニューヨーク州出身のサクソフォーン奏者、作曲家、編曲家、インプロヴァイザー、音楽プロデューサー。
コブラ|1984年に音楽家のジョン・ゾーンが考案(作曲)した、ゲームスタイルを取り入れた即興演奏のスタイル。
ボアダムズのYoshimi|1986年に結成された日本のオルタナティブ・ロック・バンドのドラマー。
巻上公一|日本の音楽家、詩人、音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、シンガーソングライター、ヴォイスパフォーマー。「ヒカシュー」リーダー。
尾上祐一|69年東京生まれ。ギター等の既成楽器からリボンコントローラ、回擦胡などの自作楽器まで演奏。ハイテク~ローテク、古今東西の様々な音と音楽を探求。
大友良英|日本のギタリスト、ノイズ、フリー・ジャズ、ターンテーブル奏者、前衛音楽、即興音楽、パンク・ロック演奏者、作曲家、テレビ・映画音楽家、プロデューサー。
仙波清彦|日本のパーカッショニスト、ドラマー、ミュージシャン。
窪田晴男|日本の音楽家・ギタリスト・作曲家・音楽プロデューサー。
DEMI SEMI QUAVER|日本のロックバンド。
スティーヴ・エトウ|日本で活躍するパーカッショニスト(重金属打楽器奏者)。
エミ・エレオノーラ|ミュージシャン、舞台女優、音楽芸者。
寺師徹|日本のギタリスト。DEMI SEMI QUAVER、THE THRILL、東京スカパラダイスオーケストラに参加。
ヲノサトル|日本の作曲家、ミュージシャン。
サーファーズ・オブ・ロマンチカ|西のボアダムス、東のサーファーズと並び称された、宮原秀一を中心とする実験バンド。宮原以外のメンバーは流動的。
窪田晴男部隊。終演後
松田:その辺でも人脈が違う方面に広がっていった。
江草:そうそう、そうそう。
その人たちも結構面白かった。その後ジョン・ゾーン当人が11月にプロンプターで来るってなって。「見に行きたいです」ってまず連絡したら、「出ませんか」って言われて(笑)。
やったあ!みたいな(笑)で、ジョン・ゾーンとも一緒にやって。
巻上さんはすごく演劇的で、巻上さんが振る(指揮すると)と演劇的なんだけど、 ジョンだと、シャープでかっこいいけど、なんか底辺にすごい冷たいものが流れている、みたいな 感じになるね。
松田:やっぱり、人によっても変わってくるんですね。
江草:全然違うんだな、雰囲気が。そのプロンプター、要は指揮者なんだけど、みんな、指揮者が喜ぶような演奏をするから、自然とカラーが出来てくるんだなと。
松田:即興の世界にも。
Pippi:すごいね、音で会話してるよね。
江草:そう、音で会話する感じ。・・そこでヲノ(サトル)さんと知り合ったり。・・・当時、巻上さんもパソコン通信やってたから。それでパソコン通信もやるようになってまた世界が広がったかな。
松田:ネットの時代に入っていくわけですね。
江草:・・・だから、多喜雄さんと「コブラ」やって、なんか 自分なりのポジションというか、見えたのかなって。自分の作品出してるわけじゃないんだけど、なんて言うんだろうな、いわゆる職業的じゃない、
松田:はい、
江草:場所にいられるのかなという・・・
松田:プロのミュージシャンとしてのアイデンティティみたいなを新しく確立した。
江草:でも、スタジオミュージシャンだけをずっとやってたらやってたで、もしかしたら別荘が1戸建ってたかもしれない(笑)。車もキャンピング・カーだったかもしれないとは思う(笑)
松田:それはそれでね。
江草:その時は別に(知人のミュージシャンの)牧野(進司)さんとテクノ系のバンドもやってたから。そっち(のテクノ・バンド)もね、結構人気が出そうだった。クラブ系のイベントにちょいちょい出てて、クアトロでやったイベントでウチらがやった時に結構場が盛り上がったって回があって。確か「東京アンダーグラウンド」っていう(コンピレーション)CDも出てたと思うんだけど、(コンピCDの)1枚目が出た後のライブで、 サブソニック・ファクターっていうソニー系のユニットも出てて。
(俺は)京都アナライザーっていうグループでやったんだけど、ちょっと盛り上がって、次もし、またコンピ出すんだったら入れてくれるかな、入れてくれたらいいなぐらいな感じでいたんだけど、同じ時期、多喜雄さんやり始めちゃったから。京都アナライザーはちょっとそこでおいとま(脱退)しちゃったんだよね・・・多喜雄さんが忙しくなかったらね、そっち系(テクノ)でやってたかもしれないよね。
松田:やってた90年代のテクノ(路線)は、ちょっと途中で切れちゃった感じ。
江草:そう、切れちゃったけど、そのサンプラーのノウハウを、多喜雄さんの方で打ち込みじゃなくリアルタイムで演奏するっていうだけは(持ち込めた)。・・・まあ、別れ道がありましたね。
牧野進司|80年代から90年代にかけて、「劇団しょうが」「ジンジャーボーイズ」「京都アナライザー」など様々なバンドやテクノユニットで活動。江草啓太、鈴木茂樹も関わった。デモテープ「戦メリ・ディスコ盤」が坂本龍一のラジオ番組で紹介されたこともある。
サブソニック・ファクター|1992年3月にソニーレコードからアルバム「響-echoes-」でデビューしたハウスユニット。
上から、雪村いづみさんハワイ公演、島田歌穂さんメンバーとツアースタッフ、木の実ナナさんコンサート。
松田:・・・さらに時を進めて、その後は・・・
江草:「コブラ」とかやってた後に、雪村いづみさんのツアーに参加するようになって。同時に島田歌穂さんもやるようになって。歌穂さんとの出会いがちょっと面白くて、そもそも多喜雄さんのコンサートにゲストで、歌穂さんが来た回があって。のちに旦那さんとなる島健さんもピアニストとして来てた。当時2人はまだ付き合ってることを公にしてなかった。
多喜雄さんが本番のMCで歌穂さんに「歌穂はどんな男の人がタイプなの?」って聞いたら、歌穂さんがむっちゃシドロモドロになって(笑)、島さんもステージにいるから、後で考えればね。なんでこんなシドロモドロになってんだろうなと思ったら、半年後にスポーツ新聞で「島田歌穂、ジャズ・ピアニスト島健と結婚」って書いてあって、あ、あの2人、こういうことだったのか!っていうのがあとでわかった。
その翌年,歌穂さんのツアーで弾いてたシンセの人が名古屋の1日だけ行けないからって話があって。その人は同じ事務所「グループTOMO」だったんだけど、「啓太くん代わりに行ってくれない?」って言われて。「楽器は俺の物で、体だけ来てくれればいいから」って、トラ(エキストラ)でやったんだけど、
その時に、(演奏曲目の中の)メドレーの中で美空ひばりさんの(楽曲)「車屋さん」があって、三味線の音と歌穂さんの歌だけってシーンがあって。それをリハーサルでやったら、歌穂さんが「あれ?今日なんか音がいい!いつもと違う!」って言われて。
「いや、楽器同じですよ」って言ったんだけど、もしかしたら、多喜雄さんとこで本物の三味線の音をずっと聞いてるからなのかな…。コンサート終わって、歌穂さんと島さんから「啓太くんは三味線とか素晴らしいね」ってなって。
で、翌年にキーボードの人ができなくなったのか、わからないんだけど、 歌穂さんのツアーに呼ばれて。でも、次のツアーでは三味線(の音色)出てこなかったけど。
高内:(キーボードで)三味線風に。何が違ったんだろう。
江草:弾き方が頭に、体に染み付いてた、のかなあ。
・・・木の実ナナさんのツアーにも参加して。歌穂さんといづみさんとナナさんは不思議に(スケジュールが)被らなかった。だから3つとも(掛け持ちで)行けたのかな。その時は多喜雄さんはね、ちょっと離れちゃって。
松田:じゃ、そのお3方の掛け持ちで。
江草:うん。
雪村いづみ|日本の歌手、女優、画家。
島田歌穂|日本の女優、歌手、大阪芸術大学芸術学部舞台芸術学科教授。
島健|日本のジャズ・ピアニスト、編曲家、作曲家、音楽プロデューサー。
車屋さん|美空ひばりが1962年にリリースした楽曲。
木の実ナナ|日本の女優、歌手。
アラビア・カシオトーン。中近東風に音階をプリセットできる
松田:・・・その後は、そういう生活しながら、個人的な音楽の出会いとかは・・・
江草:ライヴは(シンガー・ソングライターの)落合さとこさんとやってたかな。2002~3年かな。その前のライヴでは、(旧知のシンガーソングライター)水野(ノブヨシ)さんのやったりとか。(細川)玄さんのライブもありました。
松田:うん。
江草:あと、誰のやったのかな、ライヴ。アラブ/インド系のバンドをちょっとやってたりとか。最初ゲストで入ったんだけど、いつの間にかメンバーになっちゃって、スパイラル・トーンズっていうバンド。
松田:あ、立岩(潤三)さん?タブラ奏者の。
江草:そう。で、アラビア・カシオトーンっていうのがあって、中近東風に音階をプリセットできる。それをたまたま持ってて(バンドで弾いた)。
高内:そうですね、カシオトーン・マニア。
江草:一時期ちょっと集めててね。
高内:すごい集めてて。江草くんの家に機材を置きにいったかなんかの時に、透明の衣装ケースの中にたくさんカシオトーンが入ってた。
江草:(笑)4、5台持ってたからね。
高内:これ何?!っていう、ちょっとびっくりしたの思い出しました。
松田:それはクオーター・トーンとかいうやつかな。
アラビア・カシオトーン。中近東風の音色が並ぶ
松田:それはクオーター・トーンとかいうやつかな。
江草:そうそう、クオーター・トーン。でも4分の1以外にも50段階で、その半音と半音の間を出せる。実は多喜雄さんの中近東ツアーでトルコで(カシオトーンを)見かけて、「欲しいから買いたい」って確かツアコンの人に言ったら、「この後イスラエルとエジプト行くんだけど、エジプトの方が安いし、持ってると荷物になるから、エジプトで買った方がいいですよ」って言われたんだけど、エジプトで楽器屋がなぜか見つからなくて断念した。あれ欲しかったなと思っていたところ、高校、大学の同級生でカシオに勤めてた人と会って。そのことを話したら、「ちょっと会社に聞いてみる」って。それで1台無期貸し出しっていう名目で(笑)
あげるとは言わなかったけど、貸し出しでよければみたいな。ありがたく。それを持ってるって、なかなか宝の持ち腐れだったから、 立岩さんに話したら、「自分のやってるバンドでちょっとゲストで来てくれないか」って言われて、「行きます」って(ライヴに参加した)。1回やったら、もうちょっとやりたいなってなって。で、レギュラー・メンバーになってやってましたね。
Pippi:まず、そんな音階が作れるカシオトーンがあることを知らなかった。そういう(中近東の)国でもカシオトーンを売ってるっていうことも知らなかった。 使われてるんだ、その国の音階に調整されてね。
江草:音色もピアノがやっと20番とか。それまでずっと向こう(中近東)系の音色、リズムとかもね。
Pippi:面白い。
落合さとこ|日本のシンガーソングライター、朗読、ナレーション。
細川玄|ジャズ・トランぺッター、作曲家、編曲家。セプテンバーミュージックスクール代表。
立岩潤三|ドラマー、民族打楽器。インド、アラブ、イラン古典音楽からロック、ジャズなど幅広く活動。
上から、SGK(おちあいさとこ、細川玄、江草啓太)『In the secret night』、江草啓太『KALAYCILAR』。
江草:・・・・90年代って、ライヴってやってたかな・・・立岩さんの前って。水野さんがね、確か96年ぐらいで終わっちゃったから。
高内:僕らのバンドを手伝ってもらったりとかしてましたね。
Pippi:でも、そういう生活だと、1年の半分は移動っていう・・・ツアーとかで。
江草:そうそう、そうそう。
Pippi:お家にあんまり、ずっといるっていうのがない。
江草:旅は結構行ってましたね。ツアーもあったし。あと、テレビの歌番組の仕事も結構やってたから。
なので、確か2002年と2004、5年ぐらいで、 飛行機の貯まったマイレージで島に旅行、遊びに。そのぐらい旅が多かった。
松田:音楽的には際限なく広がってってる感じなんですけど、何か集約するようなことはなかったですか。
江草:スパイラルトーンズが解散するかしないかくらいの時期に、(自作楽器を中心とした音楽家の)尾上(祐一)さんと立岩さんと俺でやったライブがあった。オリジナルの歌物とかも書いたりして。1回しかなかったんだけど、結構自分の印象には残るライヴだった。その後にソロでやりたいと、(高円寺のライヴハウス)「ペンギン・ハウス」でもソロライブをでやり出して。立岩さんのバンドの最後の時期に自分でアレンジした「カライジュラル」もソロピアノでやってた。最初は対バンありだったけど、だんだんワンマンでできるようになったりってことがあったかな。
松田:そこではどういうスタイルの音楽を?
江草:ピアノがメインなんだけど、サンプラーとか、ガジェット系。他に色々おもちゃで音が出るやつとか、あと、コルグのカオス・パッドを3台並べて全部ループにしてとか。
松田:はいはい。
江草:それはそれで面白かった。あと、(ボサノヴァの名曲)「ワンノート・サンバ」、リズムボックスを最初に鳴らして、それをワンコーラス・ループにして、 音をどんどん重ねてくっていう。7回か8回ぐらいダビングして最後の方でベース出てきて、メロディー出てきてみたいな。
松田:それをリアル・タイムで。
江草:そうそう、1曲15分ぐらい(笑)、動画撮っとけばよかったんだけど残ってないな、残念。ちなみに「カライジュラル」はソロピアノで植松伸夫さんのレーベルからマキシCDとしてリリースしてもらえました。
ペンギン・ハウス|高円寺のライブハウス。2020年5月閉店。
コルグのカオス・パッド|DJ用エフェクター/サンプラー。
ワン・ノート・サンバ|1960年、ブラジルのアントニオ・カルロス・ジョビンとニュウトン・メンドンサによって作詞・作曲されたボサノヴァのスタンダード曲。
植松伸夫|日本の作曲家。株式会社DOG EAR RECORDS、有限会社SMILEPLEASE代表。『ファイナルファンタジーシリーズ』の音楽における生みの親である。
江草 啓太 (えぐさ けいた)
ピアニスト、作・編曲家。ステージでは朝崎郁恵、伊藤多喜雄、加藤登紀子、島田歌穂などのサポートを務め、レコーディングでは小西康陽、KERA(=ケラリーノ・サンドロヴィッチ)、植松伸夫などの作品に参加。NHK「カムカムエヴリバディ」の劇伴でもピアノを演奏した。えぐさゆうこと共に、屋久島、奄美大島等の古謡や作業唄を発掘し蘇演する試みを行う。演劇作品への関わりも多く、近年は『テラヤマキャバレー』、音楽劇『道』、『黒蜥蜴』(以上、デヴィッド・ルヴォー演出)、『9to5』『ファンタスティックス』『いまを生きる』(共に上田一豪演出)、『家族モドキ』(山田和也演出)、『VIOLET』『ラグタイム』(共に藤田俊太郎演出)などで音楽/音楽監督を、『CROSSROAD』(末永陽一演出)では編曲を担当している。