「日本ロック史・外伝」

第1回:イタリアンレストラン「ラ・クッチーナ・ビバーチェ」シェフ・中川 浩行さん(パート4

「狭く深くっていうタイプなんです。ギターもドラムも料理もとことんやる。極端なんですよ」

ムーンライダーズ かしぶち哲郎さんと

<ミュージシャンや音楽関係者との繋がり>

中:ムーンライダーズのかしぶち哲郎さんがお店でライブをやろうとなって、30名2デイズ、すぐ満席になったんですよ。でもその頃かしぶちさんはご病気で、何となくお客さんもわかってて、ライブの2週間前にかしぶちさんから電話がかかってきて、ごめん、動けなくなっちゃったって。これは無理だってことでお客さん60名全員に電話で延期のお知らせをしました。お客さんもわかってくれて。その時のお客さん半分ぐらい、今も常連さんでお店にきてくださってます。かしぶちさんは入院して、そのままお亡くなりになりました、実現せず。

その後、Facebookで伊藤銀次さんと親しくなるんです。そのキッカケは、私が実家の豆腐屋のシャッターの写真を銀次さんに見せたことです。

伊藤銀次|日本の歌手、シンガーソングライター・アレンジャー・音楽プロデューサー・ギタリスト。

うわさの Nakagawa Tofu シャッター。かつてはナイアガラ・ファンの巡礼地だった

P:あ、あのシャッターの。

中:私もナイアガラ関係は好きでしたから、大瀧詠一さんの1975年のアルバム「NiagaraMoon」のパロディでNakagawaTofuって、そっくりなやつ作ったんですよ、20数年前。その写真を銀次さんに見せたら、アンタ、何なんだ!って驚かれて、それ以来親しくさせていただいています。

それで、かしぶちさんの件を伝えたら、お店に来てくれて、ライブやると申し出てくださったんです。それがナイアガラ関係の方とのお付き合いの始まりです。1980年代始めに達郎さんと関わりを持って以来でしたから、久しぶりでした。

そこから、はっぴいえんどに深く関わった音楽関係者の方々が来店されて、紹介でどんどんいろいろなミュージシャンの方と仲良くなっていくんです。この店に来て12年になりますけど、ミュージシャンの方々にたくさん来ていただけるようになりました。

作詞家 松本隆さんと

誕生日にはメッセージが届く

P:ミュージシャンの間での口コミなんでしょうかね。

中:どうなんでしょうね。Facebookで松本隆さんとも繋がって、お店に来てくださいって誘ったらほんとに来てくださって。2014年に初めて来店いただいて、ドラム・スティックをサインと共にいただきました。

P:そうかあ。私、今、話を伺ってたら、ずっと幼少期から音楽の繋がりがあったんだと思ってたら。

中:違うんです。料理しかやってない期間があるんです。今のお店に来て音楽と料理が両方繋がった。50才にして。横の繋がりもできてきて、広がりが無限なんですよ。

P:不思議。

雑誌「レコード・コレクターズ」の取材記事

中:豆腐屋継いでたら、こんなふうには広がらなかった。

今の仕事は料理でお客様を幸せにする仕事じゃないですか。お客様にもフレンドリーに接しますから、面白いシェフだねって言ってくださったり。

あと、前に「レコード・コレクターズ」という雑誌の連載(レコード・コレクター紳士録)で取材されたんですよ。この記事を見たってお店に来る方が多いですね。ソニーの方が来てくださったりとか。

P:コレクションも本人が持ってないレコード持ってたりとか、すごい。

中川さんのやってきたことは、例えばサラリーマンをリタイヤして喫茶店開業しましたとかっていうのとは違う次元ですよね。

中:狭く深くっていうタイプなんです。ギターもドラムも料理もとことんやる。極端なんですよ(笑)

P:…現場、厨房に立っているのがお好きなんですね。

中:60過ぎても現場入って仕事してますけど、料理場に立ってるのが一番好きなんですよ。いろんな方がウチの店に来てくれますから。北海道に住んでる幾つも年上の先輩の方が東京にライブを観にくる際に、必ずウチに昼メシ食いに来てくれたりとか。

(来やすいんでしょうね、ミュージシャンの方々もそうですけど)

中:ピチカート・ファイブの野宮真貴さんも東京ドームにKISSを観に来た時に、始まる前にウチで飲んで、終演後にまた来られましたからね(笑)

ピチカート・ファイブ1984年から2001年まで活動した日本の音楽グループ。
野宮真貴歌手、ミュージシャン。 ピチカート・ファイブの3代目ヴォーカルとして有名。

伊藤銀次さんのライブでドラムを演奏

<レストラン・ライブ>

中:今、お店は月曜日の定休日以外営業してて、ライブも行くことができないんで、だったら自分の好きなミュージシャン呼んじゃおうと。

P:行けないんだったらここでやっちゃおうと。…これまで中川さんは音楽だけ、料理だけ、っていう時代から、ここに来て実ってるというか。

中:ありがたいことに、伊藤銀次さんや松本隆さん、みんな宣伝してくださるんですよね、こんな面白いやつがいるよって。

松本さんがお店にドラム・スティックを届けてくださった時も、お礼にとオリーブ・オイルを差し上げようとしたら、俺、料理しないから、一生の貸しにしとくからって。粋なこと言いますよね。

その後、松本さんは渋谷にラジオの収録に行ったんですけど、その時の司会やってた俳優の佐野史郎さんから連絡あって、松本さんからご紹介受けました、ぜひ友だちになってくださいって。びっくりですよ。

P:おお。

松本隆さんから頂いたドラムスティック

中:銀次さんもお店のテーマ曲作ろうかって仰ってくださって。ザ・バンドの「ラスト・ワルツ」みたいなのやりたいんだよって話してて。「ビバーチェな夜だから」っていう曲を作ってくださったんですよ。別の場所で銀次さんが、今度、アルバム「MAGIC TIME」というアルバムをリリースするんだけど、アルバムのラストに「ビバーチェな夜だから」という曲が入ってるんだけど、ビバーチェのシェフにはナイショにしてくださいねって話したらしいんです。それで、リリースした時に銀次さんが曲を作ったよって持ってきてくれて。粋ですよね、お客さんまで巻き込んで。

P:中川さんを取り巻くミュージシャンの方々がみんな、かっこいいですね

中:杉真理さんも来店いただいて、面白いやつがいるってご自身のラジオ番組で喋ってくださったんです。嬉しかったですよ。そのラジオ番組のことを私は知らなかったんですけど、聴いてたファンの方とFacebookで仲良くなってその録音した音源を送ってくださって知ったんです。

その後、杉さんのファンや佐野元春さんのファンがお店に来てくださるようになったり。

杉真理日本のシンガーソングライター、ギタリスト、作曲家・編曲家、ラジオDJ。

伊藤銀次さんのアルバム「MAGIC TIME」

アルバムのラストに「ビバーチェな夜だから」という曲が入ってる

…はっぴいえんどからナイアガラに派生して。先ほど話したムーンライダースを始め、はっぴいえんどの1973年9月21日の解散コンサートでデビューしているメンバーがいるんです。南佳孝、伊藤銀次とココナツ・バンク、吉田美奈子。彼らの演奏も収録されて、青い帯の「素晴らしき船出」というライブ・アルバムになっている。

面白いのは、はっぴいえんどの解散ライブとジャケット・デザイン似てますけど、別のレコード会社から出てるんです。ベルウッドとショーボート。ジャケット上部が開く変形ジャケットをそれぞれのレコード会社で同じデザインでリリースしてるんです。

当時のムーンライダースは松本隆さんがドラムで鈴木博文さんがベース。その2人がウチのお店に来てくださった。ありがたいことです。

南佳孝日本のシンガーソングライター・作曲家・音楽プロデューサー。
ココナツ・バンク伊藤銀次、上原"ユカリ"裕らで結成。1973年9月、はっぴいえんどの解散コンサートで、大瀧詠一のバック・バンドとして出演。
ベルウッド1973年設立キングレコード系列のレコード会社、および同社が展開するレーベル。
ショーボート1973年に「トリオ・レコード」が創設した、日本のフォーク&ロック専門のレーベル。

はっぴいえんどの1973年9月21日の解散コンサートでデビューしているメンバーがいるんです。南佳孝、伊藤銀次とココナツ・バンク、吉田美奈子。彼らの演奏も収録されて、青い帯の「素晴らしき船出」イブ・アルバム(左)になっている

P:中川さんみたいな方がいることによって、日本ロックのミュージシャンたちが集う場が出来ている感じがありますね

中:正直思うのは、昔はミュージシャンとファンの格差ってあったと思うんですよ。でも、当時20代のとんがったファンの若者も今では会社の経営者になってたり、ミュージシャンも歳とってきてレコードの売れない時代になって、やっていけないってことで、歩み寄りというか、逆に客側に興味を持ってくださるということが起こっていると思うんです。

P:確かにそういうことはあるかもわからない。

中:ミュージシャンも死んじゃってる人もいますからね。

松本隆さんがプロデュースしたC-C-Bってバンドのドラムの笠浩二、亡くなっちゃいましたけど、高校の時、私と一緒にやってましたから。学校は別なんですけど、よくウチの学校に遊びにきて、お互い意気投合して四人囃子のコピーをやってたんです。「ハレソラ」とか「昼下がりの暑い日」とか。お互いの家を行き来したりしました。それで高校卒業後、19才の時に、北千住駅のホームで笠と久しぶりに会った時に、TBSのオーディションに受かってココナッツ・ボーイズっていうバンドやることになったって。それが彼と会った最後。その後C-C-Bで見た時はびっくり。髪が長くてUKとかプログレ好きだったやつが。ビル・ブラッフォードみたいなドラムやらせるとうまかったですよ。

P:あれは作られたものだったんですね。

中:笠、歌も歌うし、でも作詞は松本隆さんだしって、訳わかんなくなっちゃった。そのことも松本さんに言いました。とにかく、全部繋がってるんですよ。四人囃子のキーボードの坂下秀実さんも亡くなっちゃいましたけど、お店に会いに来てくださいました。

P:そうだったんですね。

C-C-B 1980年代に活躍した日本のポップ・ロック・バンド。結成当初の名称はCoconutBoys(ココナッツボーイズ)で、C-C-Bはその略称。
笠浩二日本のドラマー、ヴォーカリスト。C-C-Bのメンバー。
四人囃子1971年に結成された日本のロック・バンド。結成メンバーは、森園勝敏(G)、坂下秀実(key)、中村真一(B)、岡井大二(Ds)。
ハレソラ、昼下がりの暑い日四人囃子が1977年に発表のサード・アルバム「PRINTED JELLY」収録曲。
UKイングランド出身のプログレッシヴ・ロック・バンド。
ビル・ブラッフォードイングランド出身のドラマー。イエス、キング・クリムゾン、ジェネシスのプログレ3大グループに在籍。

四人囃子のキーボードの坂下秀実さんと

中:久保田麻琴と夕焼け楽団のギタリストの井上ケン一さんもライブやってくださったりとか。夕焼け楽団は私大好きなんです。1975年にエリック・クラプトンの来日公演行った時に、前座で出た夕焼け楽団の演奏を見て、すげえってぶっ飛んで。その後、久保田麻琴さんとも親しくなって可愛がってくださって。

あがた森魚さんは先日、直にお会いできて。代表曲の「赤色エレジー」リリースからちょうど50周年の日に関係者向けに東京都北区王子の「北とぴあ」っていうホールでライブやったんです。呼ばれて元ヤング・ギター編集長の山本隆士さんと一緒に行きました。あがたさんとお会いして、「赤色エレジー」のレコードにサインしてもらいました。

(繋がりを疎かにしないで大事にしてますよね)

中:みんな面白い人ばっかりなんで。料理も飽きないものを提供して、それを皆さんが喜んでくださる。店がある限り現場に立つつもりだし。憧れのミュージシャンと間近で話せる場を作る。ミュージシャンにも同じテーブルで食事してもらうんですよ。最初の乾杯のときから一緒に同席してもらって。ミュージシャンも楽しいと思うし、お客さんも耳ダンボにして。お酒も入ってそこからのライブですから異様な盛り上がりです。

ケニー井上(ケン一)さんは必ず私に一緒に演奏しようって言ってくださるんですよ。20名限定で食事、ワインを楽しみながら、これからもそんなライブやりますので、ぜひいらしてください。

P:ご飯美味しくてお酒も飲めてミュージシャンも同席して演奏してくれて、って天国みたいな場所ですね。(食と音楽ってこれ以上の楽しみないですよね)

中:イタリアでレストランに入ることを、ステージに行くっていうんです。ミュージシャンがステージに出てパフォーマンスするのと同じで、料理を作って提供してお客様が満足してお客様が主役で帰る訳じゃないですか、幸せを与える、という意味でなるほどと。そこも音楽と料理で繋がってるのかなと思いますよ。コックでバンドやってるやつなんてそういないしね。

久保田麻琴と夕焼け楽団1973年結成の日本のロックバンド。メンバーは久保田麻琴(vo、g)、井上憲一(g)、藤田洋麻(g)、恩蔵 隆(b)。
赤色エレジー林静一が漫画雑誌「ガロ」に1970年1月号から1971年1月号まで連載した劇画。また、同劇画をモチーフとして1972年4月25日に発売されたあがた森魚のシングル曲。
山本隆士1969年に洋楽誌「ヤング・ギター」を創刊。以後、98年まで30年の長きにわたり編集長を務める。はっぴいえんどのロサンゼルス・レコーディングに立ち合った。

イタリアでレストランに入ることを、ステージに行くっていうんです」

<中川さんとお店の今後について>

中:キャロル・キングを、生きてるうちにお店に呼ぶこと(笑)あと、ザ・バンドのプロデューサーのジョン・サイモンに会うこと。

私が日本で尊敬するミュージシャンは加藤和彦、細野晴臣、大瀧詠一、久保田麻琴が四天王なんです。加藤さんは亡くなっちゃって会えなかったんですけど、大瀧さんは一度だけ会ってて、麻琴さんは可愛がってもらって、いろんなところでお会いしてる。あとは、細野さんに会うことなんですよ。細野さんには会ったことない。

…音楽のすごろくがあったとしたら、細野晴臣、ジョン・サイモンに会えたらそれで私の音楽ゲームは「あがり」です。

(もし実現してお店でライブやるとなったら大変なことになりそうです)

でも、このお店でやりたい。ネタで言いますよ、(お店の近所の)東京ドームでやればよかったなあ、でも料理運ぶの大変だから、このお店でやることにしましたって(笑)

キャロル・キングアメリカの女性シンガーソングライター。1960年代初頭から作家としてジェリー・ゴフィンとコンビでヒット曲を連発した。1970年代のシンガーソングライター・ブームの代表存在。
ジョン・サイモンアメリカの音楽プロデューサー。ザ・バンドのファースト・アルバム、セカンド・アルバムをプロデュースしたことで知られる。

<中川さんが影響を受けた日本のロック・アルバム10枚(順不同)>

①はっぴいえんど/ライブ!!(1974)

②久保田麻琴/まちぼうけ(1973)

③大瀧詠一/ナイアガラ・ムーン(1975)

④めんたんぴん/MENTANPIN(1975)

⑤あがた森魚/日本少年(1976)

⑥鈴木慶一とムーンライダース/火の玉ボーイ(1976)

⑦大貫妙子/グレイ・スカイズ(1976)

⑧高田渡/フィッシング・オン・サンデー(1976)

⑨井上ケン一/レイジー・ベイビー・ケニー(1976)

⑩山下達郎/ForYou(1982)

番外 矢野顕子/ジャパニーズ・ガール(1976)

老舗の豆腐屋の次男として生まれた中川さんは、生来の人に好かれるオープンでフレンドリーな性格と、音楽、料理をとことん追求した結果、現在そのすべてが繋がり、ミュージシャンも含め音楽好きが集うイタリア料理店として結実しています。

また、中川さんを通して、70年代の日本のロックの隠れた部分を垣間見ることが出来ました。

気取らないお店と気さくなお人柄の中川さん。これからも美味しい料理やワインとワクワクするような音楽を提供してくれるでしょう

インタビュアー|Pippi

企画・ライティング|松田 主水

録音・撮影・Web|高内 功樹


2024 年 1 月 22 日東京・水道橋「ラ・クッチーナ・ビバーチェ」にて  

ラ・クッチーナ・ビバーチェ  

〒113-0033 東京都文京区本郷 1 丁目 4-6 

ヴァリエ後楽園 1F  

050-5484-5645  

https://a835912.gorp.jp/  

営業日:火曜日〜日曜日(定休日 月曜日)  

ランチ→ 11:30~13:30 / ディナー→ 17:30~20:30