「日本ロック史・外伝」

第1回:イタリアンレストラン「ラ・クッチーナ・ビバーチェ」シェフ・中川 浩行さん(パート3

イタリアに行って何が勉強になったかっていうと、マンマから家庭料理を教えてもらったりしたことですね」

<料理人の道へ進む。鈴木博文さんとの出会い>

中:話は遡りますけど、高校時代にドラム・セットを少しづつ揃えるために、通ってた千駄木の高校から行けて楽器もレコードも買えるってことで、お茶の水の「レモン画翠」の喫茶店でバイトしてたんです。場所柄、明治大学とかバイトしてるのはみんな大学生だったので、1人だけ高校生だった私をみんなは可愛がってくれました。

P:そこでお料理も覚えたり。

中:ああ、そうですね。洗い場とかやってたので、手が荒れるからハンドクリーム持ってたり(笑)。

で、高校卒業後、山の上ホテルの近くの店が「トラットリア・レモン」っていうレモン画翠系列のイタリア料理店になるっていうので、音楽だけやってても食えないし、そこで料理やらないかってことでシェフとして働き始めたのが最初です。今もそのお店あります。そこに20年いました。一番長く在籍したお店ですね。

P:そうだったんですね。

ムーンライダーズの鈴木博文さんと「辞めるとなった時にお店にやってきて、お花を持ってきてくださったんです

中:「レモン画翠」って元々画材のお店ですから給料のシステムが良くないんですね。で、20年経ったその頃は長男が大学行くっていう時代だったので、交渉したけれども折り合わなくて辞めるとなった時に、ムーンライダーズの鈴木博文さんが知人と共にお店にやってきて、お花を持ってきてくださったんです。お疲れ様でした、ムーンライダーズのファンなんだよねって。えーっ!思わず「本物?」って聞いちゃいました(笑) そこから鈴木博文さんとは親しくさせていただいてます。

その後、東京都中央区茅場町のお店に移るんですけど、元々フランス料理店の居抜きの物件で、クローズドのキッチンで客席がドーンと四角い感じ。

見た時に、あれ?ここでライブ出来るな、地下でどれだけ音出しても大丈夫だし、ということで鈴木博文さんにウチでライブやりませんかって声かけたんですよ。そしたらいいよ、行くよって快諾してくださって、お店の周年イベントをやったのがお店でライブをやるようになったきっかけですね。

P:ほー。

中:なんでそういうことやり始めたかっていうと、イタリアで働いてた時に向こうの店では、ミュージシャンがピアノ弾いて食事会ってすごくいっぱいやってるんですよ。

P:それ、楽しいですよね。

中:あ、これ、やりたいなあって思って。

レモン画翠|東京都千代田区に本店を置く建築模型材料・画材・文房具専門店。
山の上ホテル東京都千代田区神田駿河台にあるホテル。
トラットリア・レモン画材店「レモン画翠」の営むイタリアンレストラン。
ムーンライダーズ1975年に結成された日本のロックバンド。
鈴木博文音楽家、作詞家、作曲家、ムーンライダーズのベーシスト。メトロトロン・レコード主宰。

あと、20才ぐらいの時に東京目白の椿山荘で牧村憲一さんたちが会場全部借り切って、「フランス祭」っていうのをやったんです。そこにピエール・バルーが来日するんです。ある部屋ではムーンライダーズや高橋幸宏さんとか加藤和彦さんがライブをやったり、隣の部屋では女優のドミニク・サンダがトーク・ショーやったり。

P:贅沢ですね。

中:ロビーでは大道芸!曲芸師が来てたり。お客さんに大貫妙子さんがいたり、ピエール・バルーが加藤和彦さん、清水靖晃さん、ムーンライダーズと歌いながら客席から出てきたりとか、最高に楽しかった!1984年頃のことです。

そういうのを私はやりたかったんですよ。イタリア行ってもさっき話したようなことやってるんで、なるほど、ヨーロッパってそういう文化なんだと。

…今、某大手レストランでライブやったりしてますけど、金額高すぎるし、ディナー・ショーって感じじゃないですか。ステージと客席の距離遠いし。

私は真逆をやりたかったんですよ。安い金額で好きなだけワイン飲んでもらって、好きなだけ食べてもらって。その代わりミュージシャンには、これだけしか出せないんだけどって泣いてもらって、ギャラを低くして。みんなで楽しめるライブをやろうと思って始めたんです。

その後、鈴木博文さんや「フランス祭」の縁で、ムーンライダーズのかしぶち哲郎さんが、一緒にやろうよって声をかけてくださるんです。

P:ほおー。

2004年に料理の大会で世界一になりました。その時のゴールドメダルがこれです認定書とメダル、イタリア修行時代の写真が並ぶ一角

中:当時のお店の経営陣が変わって、やりにくくなっちゃったんで退職することになった時、今から11年前の2013年、前の経営者が新しい物件を見つけたので、そこでやらないかって誘ってくれたんです、それが今のこの店。

シェフとして働く条件として金銭面もあったけれども、料理やイベント、私の好きなようにやらせてくれと。それを、好きなようにやれよと条件飲んでくれて。

ある時、ザ・バンドの本を置いておいたんですけど、それを見た経営者が、「あれ、お前、ザ・バンド好きなの?」っていうから、逆に「えっ知ってるの?」って。「俺の兄貴バンドやってるから、知ってるんだよ。スカイドッグ・ブルース・バンドのギタリストなんだよ」「えっ俺、レコード持ってるよ」って(笑)。中学生の時スカイドッグ・ブルース・バンドのコピーもしてたし。えーあのギタリストの弟なの?ってことになって、私と経営者の関係から、急に距離が縮まって密接な関係になった。

レコード持ってるの私ぐらい、バンド本人たちも持ってないですからね。スカイドッグのイベントを東京でやった時も、主催のディスク・ユニオンからレコード貸して貰えませんか、入口で飾りますのでって依頼があったぐらいですから。それでメンバー全員のサインももらって。

牧村憲一|日本の音楽プロデューサー。
ピエール・バルーフランスの音楽家、俳優。インディレーベル「サラヴァ」の主宰者。
ドミニク・サンダフランス・パリ出身の女優。
清水靖晃日本のサクソフォーン奏者、作曲家、音楽プロデューサー。
かしぶち哲郎ムーンライダーズのドラマー、ヴォーカリスト。
ザ・バンドアメリカを拠点に活動したカナダのロックバンド。オリジナル・メンバーでは1967年から1976年まで活動。ボブ・ディランのバックバンドとして活躍したことも有名。1976年多数の大物ミュージシャンが参加した解散コンサートが映画「ラスト・ワルツ」として公開、3枚組サントラ盤もリリースされた。
スカイドッグ・ブルース・バンド日本のブルース・バンド。1975年4月に結成、札幌市豊平区のブルース喫茶「神経質な鶏」で活動した。 正統派シカゴ系ブルース・バンドだったが、日本語の歌詞でブルースを歌うようになった。

イタリア修行時代の写真が壁に飾られている

〈料理の修行でイタリアへ〉

P:磁石みたいにいろいろなものを引きつけてますね。…で、イタリアに修行に行ったのはいつぐらいですか?

中:スティックの代わりに菜箸とトングとフライパンを持つ生活になって。

とある事情で、東京銀座の「ラ・ベットラ」っていうお店の落合さんという方(壁に写真飾ってますけど)がその前にやってた赤坂の「グラナータ」っていうイタリア料理店に食事にいったんです。フレンドリーな雰囲気ですごく楽しいし、そんなにお金も高くないし、落合さんのお店みたいにしたいなって思ったんです。落合さんと話した時に実家が同じく埼玉県草加市だってこともわかって仲良くなるんです。

その後、落合さんが「グラナータ」を退職して1997年に銀座で「ラ・ベットラ」というお店を始めるんです。それがイタリア料理ブームの始まりだといまだに私は思っています。

そこのお店で手伝うことになるんですけど、やっぱり本場のイタリア料理が見たくなって、落合さんに相談したら、金貯めて行ってこい、イタリア人は何食って何話してるのか、それだけでも行く価値あるぞって背中押されて、イタリアに行きました。

P:ほお。

中:カルロ・ブレッシャーニさんという親日家の方がデモンストレーションで来日した際に意気投合して、イタリアで働くなら俺のところに来いって誘ってくださったんです。で、カルロはどんな人なのかと思ったら、ローマで首相が集まる晩餐会の料理長だったんですよ。すげえなと思って。

P:へえー。

ラ・ベットラ 落合さん|イタリア料理の先駆者・落合務が1997年9月オープンしたイタリア料理店LA BETTOLA (ラ・ベットラ)。
カルロ・ブレッシャーニ|イタリア料理界の巨匠。イタリア・ロンバルディア州にあるレストラン2店のオーナーシェフ。ヨハネ・パウロ2世が訪れた晩餐会料理を担当した実力の持ち主。権威あるフランスのピエール・テタンジェ国際料理コンクールのイタリア部門で第1位になるなど、輝かしい受賞歴をもつ。

インターナショナル・メンバーイタリア政府からイタリア料理人お墨付きです

中:カルロの下で修行するようになって、さらに紹介してもらってイタリア各地を転々とするわけです。

P:イタリアも1ヶ所だけじゃなく、いろいろなところに行ってるんですね。

中:ええ、ブレシアっていうところ。そこからジェノバに行って魚介料理を教えてもらって、そこからトスカーナのホテルに行って山料理、羊料理、煮込み料理を教えていただくわけですけど、そこのマンマがナポリ出身だったんですよ。日本に例えるなら仙台で大阪出身のおばちゃんが大阪料理を教えてくれるようなものです。その人からタコの煮込み料理とか教えてもらいましたね。言葉のコミュニケーションについては、イタリア語はそんなに難しくないです。

P:どのぐらい滞在したんですか?

中:1年です。

それ以外に料理の大会があるとカルロの紹介で出てました。2004年には世界一になりました。その時のゴールドメダルがこれです(とお店の壁に飾ってあるメダルを紹介)。

認定書が飾ってありますけど、2004年に、インターナショナル・メンバーって書いてあってイタリア人から見れば私は外国人で、イタリア政府から、あなたはイタリア料理人って言っていいよっていうお墨付きです。

イタリアに行って何が勉強になったかっていうと、マンマから家庭料理を教えてもらったりしたことですね。

…だって気取った料理は疲れるし、だって息抜きしてお茶漬けとか食べたくなるじゃないですか。そんな感じで飽きない料理をやりたいんですよ。ずっと食べても飽きない料理。土着的な定食屋。

P:家庭料理の。

中:そう、トンカツがあって、唐揚げがあって、カレー、ラーメンがあってみたいな。町中華のイタリア料理版みたいのやりたかったんですよ。

トンカツがあって、唐揚げがあって、カレー、ラーメンがあってみたいな。町中華のイタリア料理版みたいのやりたかったんですよ」

2024 年 1 月 22 日東京・水道橋「ラ・クッチーナ・ビバーチェ」にて  

ラ・クッチーナ・ビバーチェ  

〒113-0033 東京都文京区本郷 1 丁目 4-6 

ヴァリエ後楽園 1F  

050-5484-5645  

https://a835912.gorp.jp/  

営業日:火曜日〜日曜日(定休日 月曜日)  

ランチ→ 11:30~13:30 / ディナー→ 17:30~20:30