はっぴいえんどのサイン入りLPレコードはお店を訪れたファンの目にとまる。このスティックは、はっぴいえんどのドラマーの作詞家の松本隆さんより直々に頂いたもの。「わざわざ本人が届けてくださったんですよ」と笑顔で話してくれた
中川(以降中):日本のロックはね、コピー・バンドやってましたので、やっぱり、はっぴいえんどから入りましたね。私が小学校から中学校に上がるぐらいですので1974〜1975年。当時、中学生でライブを観にいける場所で東京台東区三ノ輪に「モンド」っていうライブハウスがあったんですよ。
そこで高田渡さんとか、あがた森魚さんとか、めんたんぴんとか観ました。それがきっかけで、今度は渋谷や新宿まで足を伸ばしてみようとなってくるんです。
Pippi(以降P)::だんだん慣れてきて。ライブハウスの人から子ども扱いされなかったですか。
中:そこそこいきがってたんで、子ども扱いはされなかったです。
ある時、めんたんぴんのライブを観に行ったら、メンバーよりも前に着いちゃって。お店の人も何も言わないし座ってたら、メンバーが1人づつ入ってきてチューニング始めちゃうしドラムのセット始めちゃうし。どうしようと思ってたら、お店の人が水持って俺のところに来るんですよ。で、お願いしますって、メンバーに水渡したりして。すっかりスタッフ扱いされちゃって(笑)
P:お客さんはお店の外で待ってるし。
中:その話を先日ここのお店に来店されためんたんぴんのギタリストの池田洋一郎さんに話したら大ウケしてましたよ(笑)
店内の一角に<はっぴいえんど>などの作品が飾られている
中:…あわよくばプロのミュージシャンになりたいと楽譜の書き方とか学んでて、尚美学園に行くことを目標にしてたんですけど、そんな中、青山純さんからウチに電話がかかってきて、「お前、卒業したらどうするんだ。俺んとこ来ないか」って言うんです。「ボーヤですか」って聞いたんです。私の2つ上の先輩が当時スクエアの仙波清彦さんのボーヤで、そんな縁もあったんだと思いますけど。
ボーヤは嫌だったんですけど、青山さんはドラムのチューニングまで任せたいってことで。当時青山さんのチューニングを担当してたテックさんが独立したので、私に回ってきたと。1980年頃ですから山下達郎さんの事務所のスマイルから運んできたドラムを組み立ててっていうところから青山純さんのアシスタントをやるようになったんです。
山下達郎さんの1982年リリースのアルバム「ForYou」の時が一番忙しい時期でしたね。達郎さんのことですから、ものすごく時間かけて制作している印象でした。
青山さんは達郎さん以外にもいろんな歌謡曲のバックの仕事やってました。近藤真彦の、おそらく「ハイティーン・ブギ」とかのレコーディングや、プリンセス・プリンセスの曲のレコーディングは青山さん。プリンセス・プリンセスのドラマーはそれを聴いて(ライブ演奏用に)練習してたんだそうです。あと、ギタリストの矢島賢さんとか、知らないボーカルの人にも何回も会ったし。ピットインでの女性ボーカルの人のバックもやってました。今剛さんのセッションもあったな。
青山さんと初めて会ったのはさっき話した通り、電話があって、山手線目黒駅の立ち食いそば屋の前で待ち合わせとなって、待ってたら、駅からベース背負った伊藤広規さんが「おう、おはよう」って来て(笑)。「青山は?」「いや、まだ来てないですよ」「いいよいいよ、先に店入ろう」って立ち食いそば屋に入ったら、青山純さんがすでにそば食ってた(笑)。その後、何かのリハーサルで目黒のスタジオに向かいました。
P:(笑)
山下達郎「ForYou」(右上)や70−80年代のLPレコードのコレクション
中:「ForYou」のレコーディングでは、山下達郎さんは神経質な方で、全部のレコーディングに顔出す人なんです。うわー、山下達郎だ、頑固そうだなあ、って。あんまり話は出来なかったですね。
P:ピリピリした空気で。
中:当時、私は19才、青山さんは24才、達郎さんは28才。レコーディング・スタジオの地下でお会いした大瀧詠一さんは32才。今思うと、みんな若くてあんちゃんでした(笑)
当時、青山純さんと伊藤広規さんって、達郎さんのパーマネント・バンドやるようになってからまだ2〜3年でした。達郎さんもまだ知る人ぞ知る存在で、「クリスマス・イブ」で一般レベルで知られる前。で、達郎さんのそれまでのバックは村上ポンタさんとか、レコーディングでは細野晴臣さんがベース弾いてたりとか、錚々たるメンバーですよ。そこにハード・ロックやってた若僧を後任で入れるとは何事かと、スタッフが達郎さんに総スカンですよ。向かい風な雰囲気はありましたね。まだあの頃は青山さんはもがいて必死な時代でしたね。その後、MISIAとか椎名林檎さんとかやるようになりましたけどね。
P:そうなんだ
中:…音楽ってミュージシャンだけのものじゃないんです。ミュージシャンはあくまで商品で、作り出すプロデューサーさんやディレクターさんが具現化してレコード化して、それに関わる全ての人が生活してるわけです。
エンジニアさんとか恐かったですよ。ある時、ピアノ録音があって、私は青山さんの隣で控えていて、ドラム・スティック落としちゃったんです、コロコロって。あっ!やべえって思ったら、達郎さん、大瀧さんを担当した、吉田美奈子さんのお兄さんでもある、エンジニアの吉田保さんがやってきて「こらっ!」って。私の唯一の自慢は吉田保さんに怒られたこと(笑)青山さんも怒るだろうなあと思ってたら、全然そんなことなくて、「今度は気をつけてね」って(笑)優しい人なんですよ。
P:(笑)
自室のドラムやギター、1970年代から大事に保管されている。この中に青山純氏からもらったスネア(左から2番目)もあるとのこと。
中:さっきも話した通り、私はスタイルがジャズ・ドラムだったんで、青山さんのマシンのようなドラム全然好きじゃなかったんですよ。アシスタントやるとなった時に、正直、当初は仕方無くやってるところあったんですけど、ポンタさんとか渡嘉敷祐一さんとか山木秀夫さんとかの方が好みで、ロック・ドラムはそんなに興味ないんですよ。
でも青山さんって強烈にいい人でした。すごくいい人でした。私の息子に純って名前付けたぐらいです。息子は今36才でドラム叩いてます。
P:いい話だなあ。
2024 年 1 月 22 日東京・水道橋「ラ・クッチーナ・ビバーチェ」にて
ラ・クッチーナ・ビバーチェ
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ヴァリエ後楽園 1F
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営業日:火曜日〜日曜日(定休日 月曜日)
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