田園新連載企画
いままで1960年代以降の日本のロック史についてはミュージシャン当人やガイド本などで沢山語られてきました。しかしそこから漏れ落ちている、音楽雑誌や書籍にはない情報やエピソードもあるはずです。周辺にいた方々にそれぞれの日本のロックに対する熱い思いを語っていただき補完しながら、お人柄も紹介する新企画。
その記念すべき第1回は東京・水道橋のイタリアン・レストラン「ラ・クッチーナ・ビバーチェ」シェフ・中川浩行さんにご登場いただきます。
中川さんは料理人という立場でありながら、様々なミュージシャンに愛され幅広い交流を持つ方。魅力あるお人柄について掘り下げていきたいと思います。
Pippi(以降P):YouTubeで椎名林檎さんのバックで青山純さんがドラムを叩いているのを偶々観たんですけれど、林檎さんの歌以上に青山さんのドラムがすごいと思ったんです。ネットのコメントも青山さんの評判がよくて、どんなドラマーなんだろうと気になっていた矢先に青山さんスタッフだった方で美味しいイタリア料理を出している方がいる、と聞いたのが中川さんのことを知ったきっかけなんです。
音楽の趣味もすごく共通点が多いということで、この機会にいろいろ教えてください。
中川(以降中):そうでしたか。よろしくお願いします。
P:ご実家がお豆腐屋さんとお聞きしましたが。
中:そうなんです。4代続く豆腐屋です。いわゆるサラリーマンの家庭で育ったわけではないです。職人の家系です。
ご実家<中川豆腐店>の自動車の前で
母と兄と
P:朝早い生活でしたか?
中:それがそうでもないんです。昔、朝食の味噌汁に入れる豆腐を買いに来る奥様がいた時代は朝も早かったんですけど、小売よりも料亭や居酒屋などに納めるのが主でした。ウチは埼玉県草加市なんですが、草加市立病院にも納めていました。自転車に乗ってラッパ吹いて、というのは一切やってないんです。
そもそも、父親の実家は東京都文京区湯島なんですが、そこで祖父が豆腐屋を始めたんです。戦後に日本橋の「双葉」で修行して自分で始めたんで。
ウチの親父は長男で店を継ぐんですが24才の時独立して埼玉県草加市にお店を作ったんですよ。私たち子どもは湯島で生まれたんですけど、私が4才の時に引っ越して草加市で育ってるんです。
ウチの親父は茨城県に疎開したりしてるんですけど、湯島で育っている叔父さんたちはウチの親父よりもずっと年下なんで、江戸弁なんですよ、叔父さんたち叔母さんたちが「シロユキ、おまえ、何かい?」っていう感じで。
P:へえ。(笑)
中:で、ウチの親父、暴走族なんです(笑)カミナリ族。当時湯島で3人いたんですけど、そのうちの1人です。何かの本にも載ってますけど、豆腐屋のケンジ。あと、原爆さんと、カバン屋のなんとかさん。その3人で湯島から入谷の方を爆音で。でも悪いことはしてないですよ。
P:走るのが好き。
中:そうそう、そのままバイクで地方に行っちゃうとか。
P:へえ、日本の昭和の文化についてのフィルムに映ってるかも。
中:何かに映ってたり、親父のところに雑誌の取材が来たりとかありました。
子供の頃から親父のバイクに乗せてもらっていたので、ウチの兄貴も妹も、全員バイク大嫌いです。恐くて(笑) ちっちゃい頃恐い思い散々しましたからね。
ヘルメットかぶってます
小山ゆうえんちにて
P:逆に、そうか。
中:ナナハンですよ、乗っけて走るわけですよ。私は後ろに乗っててそんなこと知らないから、飛ばして振り落とされそうになりながら。親父、関係無しですからね。ひどいもんですよ(笑)
P:楽しいっていうよりは恐いって感じ。
中:そうそう。兄弟全員、車以外バイクの免許取ろうとか思わない。
P:反面教師的な感じになっちゃった。
中:で、その頃、私が小学生の頃に叔母さんにギターをもらうんです。そこから始まります。
P:最初はギターから。
中:昭和22〜24年生まれの叔父さん叔母さんたちってステレオに興味があったりとか、池坊(の生花)に行ってたりとかオシャレな感じの人なので、何かのきっかけでギターももらってきたんでしょうね。
そのギターがウチにやってきて、それで私の3才上の兄貴が中学校に入ったぐらいから弾くようになって、弟の私も弾くようになったのが始まりですね。
P:それはガット・ギターですか。
中:いわゆるガット・ギターです。フォーク・ギターとの区別がわからない時代です。
P:その頃は。
中:フォーク少年です。かぐや姫とか井上陽水とか。それでも湯島の実家に行くとCCRやカーペンターズがかかってたりという環境でしたね。あと、ベンチャーズ。叔父さん叔母さんたちはビートルズよりもベンチャーズでしたね。
バンドでギターを始めた頃
P:実家に行くと洋楽がかかってる環境だったんですね。
中:4才まではそんな環境で洗脳されましたね。
P:自然に入ってきちゃいますよね。
中:当時の私がベンチャーズで踊ってる写真があります。ベンチャーズかけてよって言ったらしいです。記憶にないですけどね。
P:洋楽邦楽の区別もしないですよね。リズムが楽しい音楽っていう。
中:それでウチの兄貴が感化されてエレキ・ギターを買うわけですよ。たぶん、「バングラデシュ・コンサート」の映画を観に行って、その中でジョージ・ハリスンが白のストラトキャスターを弾いてるんですけど、それと同じ国産の安いギターを買ってきて、弾き始めてるそばに、弟の私がいたんですね。
P:はああ。
中:当然兄貴はリード・ギター、ギター・ソロをやりたいがために私にギターを教えるわけですよ。リズム・ギターの上でリード・ギターをやりたいんですよ、家で。
中学生だとバンドやるにもギターばっかりになっちゃって、ベースがいれば一緒にやろうと引き込んで。ドラムが誰もいないわけですよ。楽器持ってる人もいなくて。
楽器やってると上下の関係で仲良くなるんで、それで3才、4才上の先輩からボロボロのドラムを借りてきて私が叩いたりとか。それが小学校6年ぐらいです。
「1978年頃、竹内まりや、ユーミンのコピーバンドに誘われて、赤いランニングシャツとパンツは勝手にシンドバッドでデビューした頃のサザンのまねです」(浦和市民会館にて)
P:自発的にドラムに興味があったというよりは…
中:ドラムに興味はあったんです。ギターは弾くんですけど、なんでもやりたがるんです。
P:好奇心旺盛ですね。
中:そうですね。ドラムが面白くなってきて親にせがんで基本のセットを中古で手に入れるわけです。
P:ドラム、家で練習するとなると、音、大きいですよね。
中:大変です。まあ一戸建ての豆腐屋なんでマンションじゃなかっただけいいです。ナマで叩くことはできな
いですけど、ゴムのパットみたいなのを敷いても、それでもうるさいです(笑)
P:足も踏み込みますよね。
中:そうなんです、振動がね。家がぶっ壊れるぞみたいに怒られましたね。
P:私も、とある事情でハイハットだけ購入して、練習のつもりで踏み込んだらズシンと来て。これはダメだと。
中:ひょんなきっかけでハイハット買う人も珍しいですね(笑)で、そのバンドがはっぴいえんどとかやってたんです。ちゃんとドラムもやらなきゃと思って雑誌とか見たりしてた時に、兄貴の同級生のお兄さんがプロのジャズ・ドラマーだったんですよ。近所に住んでたんで、習いたいとお願いしたら、どうぞどうぞってことで個人練習で叩き込まれました。
ジャズ・ドラマーの先生から教えてもらったので、いまだにドラムのスティックの握り方は箸みたいに持つレギュラー・グリップです。
「1979年どこかのイベントに呼ばれてです、四人囃子のコピバンでした
バスドラに名前を入れるのは70年代後半のスティーブガッド、クリストファーパーカーを真似てです」
P:たまたま近所にプロ・ドラマーの方がいらしたっていうのもすごいですね。
中:びっくり。で、後になってわかることなんですけど、そのドラマーの先生は、70年代後期にデビューしたプリズムっていうバンドのギタリスト、和田アキラさんの同級生なんです。
P:へー。
中:先生がやってたバンドのライブにゲストで和田アキラさんが来たりしてたんです。私は先生の弟子としていろいろ手伝いをやったりしているうちに、どんどん広がっていったんです。その先生も日本一のジャズ・ドラマーの猪俣猛さんの何番目かのお弟子さんだったり。
P:ほお。
中:プリズムっていろいろなドラマーが在籍したんですけど、青山純さんも一時期在籍してて、私が高校生の時にやってたバンドのライブを観にきてくださるんですよ。それで気に入ってくださって、それ以来弟分として可愛がってくださるようになりました。
P:そうなんですね。中川さんの話を伺ってて思うのは、弟キャラで、自己主張が強いというよりも可愛がられるタイプなんだなと思いました。
中:ドラムもメインじゃないのが、面白かった。…青山純さんは基本的にロック・ドラマーでジャズの要素は無いんです。出来るんですけどレコーディングではほとんどやらなかった。
P:中川さんはジャズ・ドラマーの師匠から教えてもらっていて、本当はロック・ドラムがやりたいんだけどな、とは思わなかったですか。
中:基本的には、エルヴィン・ジョーンズとかトニー・ウイリアムスとかのジャズ・ドラマーが好きだったんです。
…で、実を言うと私はシンガー・ソングライターが好きなんですよ(笑)その後ろで演奏しているジム・ケルトナーとかジム・ゴードンに魅力を感じるんです。歌伴ドラム。だから私も高校の時20個ぐらいのバンドでドラム叩いてましたよ。
P:えー。
「すごく自由な学校で、私服で長髪もOK」
「ディスティックスのTシャツ着てきたりとか(笑)」
中:私立の駒込高校に行ってたんですけど、すごく自由な学校で、私服で長髪もOK。サディスティックスのTシャツ着てきたりとか(笑)
で、手前味噌ですけど、そこそこ叩けたんですよ。だから高校の時はたくさんのバンドに呼ばれました。キャバレーで演奏するバイトもして、ちょっとづつ楽器買ったりレコード買ったりしてました。
P:お話を聞いてるとナチュラルに音楽の世界に来る運命になってた感じですね。親の反対に反抗するような状況もなく。
中:お袋は心配してましたけどね、それで生活していけるのかって。親父は先ほど話したような人ですから、何一つ反対する要素はありませんでした。兄貴も楽器やりたい放題やらせてもらえたし。勉強しろなんて1回も言われたことないですよ。バンド三昧、レコード買い三昧、ライブ行き三昧でした。
2024 年 1 月 22 日東京・水道橋「ラ・クッチーナ・ビバーチェ」にて
ラ・クッチーナ・ビバーチェ
〒113-0033 東京都文京区本郷 1 丁目 4-6
ヴァリエ後楽園 1F
050-5484-5645
営業日:火曜日〜日曜日(定休日 月曜日)
ランチ→ 11:30~13:30 / ディナー→ 17:30~20:30